最後の始まりっていうんでしょうか。
2015年に娘からプレゼントされました。
「最高のLast Beginning であれ」
という金文字が打ってあります。
それをなんで思い出したかというと、
古平の知人からいただいた「神威鶴」というお酒を、
それなりの儀式で飲まなくてはいけない。
ならばということで、これで飲もうかと思い立ちました。
今から11年前に娘からプレゼントされてから、ほんの数回くらいしか使っていません。
何故かというと、割ってしまうと、もちろん娘に申し訳がたたないし、
それで、私自身の命も終わってしまいそうで、ちと怖い。
でも、命の長さを気にする歳ではないし、割れば割ったで、大好きなうきはの耳納クリーンセンターで金継ぎということを教える教室があるではないか。数年前、NPOの冊子を作る時に金継ぎの先生にインタビューし、その時の生徒さんにもインタビューした。友人からもらった花瓶をそのまま棄てることができず、割れたたままで、引っ越しを繰り返し、やっと金継ぎという技術を知ったということだった。
その文章の最後に、
「割ってしまってから始まることがある」
という言葉で締めくくっていた。
そう書いたけれど、忘れていた。
と、あれこれ反省して、このカップで日本酒「神威岬」を飲みました。
飲んだけれど、やはり割りそうで怖い。
あるいは、2015年には何があったのだろうか。定年の年ではない、NPOを開設して1年経っている。このブログをさかのぼり、たぶん、憧れの仕事部屋を借りてそこに昼間だけ移り住んだ時だ。仕事部屋を借りたら、何かすごいことができるかもしれない。たくさん書いたけれど、結果的にすごいことはできなかったけれど。
日付があるけれど、誰かの誕生日ではないし、それも思い出せない。
夜中に目が覚めて、そんなことをいろいろ考えているうちに寝れなくなってしまった。
娘が生まれた時はどんなことがあったっけ、札幌に移り住んだ父親が亡くなった時は彼女はいくつだっけ、古平の海岸でカニ釣りをしてはしゃいでたのはいつだっけ。
そんなことを考えているうちにますます寝れなくなってしまった。今日の睡眠時間は3時間半。今、7時半、もうすぐ家人が起きる頃だから2度寝はできないし。
やっぱり、このカップはしばらく食器棚にしまっておこう。
