Light Blossom 陰陽師の不思議な世界

Light Blossom 陰陽師の不思議な世界

次世代陰陽師・神易師の空木更紗です。
このブログでは目に見えない世界のことを、自らの経験も交えて、楽しく分かりやすくご紹介いたします。

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空木更紗です。

 

私はここしばらく、美しい山に囲まれたところで暮らしています。

車で出かけると、あまりの美しさについ運転していることを忘れてしまいそうになる時があります。

地元に住んでいる方に話したら、住んでいる方も山の美しさに思わず見惚れてしまうことが多々あるそうです。

ですから、この辺りに住んでいる方のグランディングレベルは、過去にもお話しした通り、高いです。

 

 

さて、そんな山の景色ですが、ただ美しいだけではありません。

それは天候や季節や時間帯によって、さまざまに表情を変化させます。

面白いのは、外的な要因だけではなく、我々人間がその時置かれている状況、健康状態、心理状態などによっても、山は刻々と変化をするのです。

 

私の山での移動手段は車です。現代はナビがあるので、山で迷うことはほとんどなくなりました。

時にあまりにも山奥に分け入りすぎたため電波が受信できずナビが使えなくなる場所があるものの、大抵の場合、ナビは使えます。

 

私は以前、ちょっとのつもりで出かけたのに、用事を済ませた後ももう少しだけ美しい風景の中を走り続けたいと、遠回りのつもりで違う道に入ってみたことがあります。実は私は昔から、Uターンして帰るのが嫌いな性格で、少しでも違う道を通って帰りたいと思う習性があるのです。

 

知らない道に入ってみたら、トンネルがあったり、美しい風景を一望できる駐車場があったり、初めのうちはワクワクしながら、気軽に展望所に車を停めて写真を撮ったり、また走り続けてみたりしておりましたが、かなり走りました。

このあたりは元々自分にとって詳しい土地ではないので、聞いたことのあるような名前の土地が道路標識に書いてはあるものの、それが自分が帰るべき場所から近いのか?遠ざかっているのか?が分かりませんでした。

 

 

しかし一度車を停めてナビを操作しなきゃと思っている時に限って、路側帯に余裕はなく、後続車もいて、なかなか車が停められません。コーナー毎に自分が帰るべきところから離れていく感覚が増し、焦ってきます。

何気なくお日様も西に傾いて、あたりがどんどん暗くなってくるように感じます。急がなきゃ、

でも、美しい。

景色はますます美しさを増していきます。

しかしそんな美しい景色を見ても、嬉しかった気持ちが不安に変化した頃、

 

「ああ、山が笑っているな」と思いました。

それも微笑んでいるような笑いではなく、真っ黒い口を大きく開いて、邪悪に微笑むような笑いなのです。

 

車を停めるタイミングも掴めないまま、一つ、また一つとコーナーを曲がっていく私。

コーナーを曲がる度に山の暗さが増し、不安も増していく。

どこかに、「でも、このまま走っていたら、帰るところの地名のついた道路標識のある交差点に出るんじゃなかろうか?

そこまで行ってみようか?」という投げやりな心もある。

そう思っている間も車と私はどんどん、山がポッカリ開けた邪悪な口の中に吸い込まれていくのです。

 

ふと、「ああ、こうやって、遭難ってするんだな」と思いました。

 

私はまだ自動車で走っています。ガソリン残量もあります。だからなんとかなる。

でもこれが登山者だったら、、、、

道に迷ってしまって引き返そうにも、体力が保つのか?果たして引き返すのが正しいのか?進む方が正しいのか?

そして体力が限界に来て、山はすっかり暗くなって、遭難。

 

そんな妄想をしていて私はやっと、

「ああ、やっぱりちゃんとナビを操作できる場所に車を停めなくっちゃ」と決心し、慎重に車を停めました。

思えば焦りと疲れで、判断力と実行力も低下しておりました。車を停めるという気力がなく、ダラダラと車を走らせていたようです。

 

そしてやっと、停めた車内でナビで自分の帰る場所を目的地に設定し、もと来た道を帰りました。

やっぱりその道ではちょっと遠回りどころか、山全体を一周しないと帰れない、超遠回りのコースだったのです。

 

もと来た道を帰り始めた私に山は邪悪な口を閉じてくれましたが、山の美しさも白けて見せました。

ワクワクした気持ちも失せ、ただ失敗を拭い去るように、さっき来た道を戻るだけのドライブ。

これが同じ風景だろうかと思うほど、白々しい山の気配。

山の笑った口から吐き出される時の気分は、そんな感じでした。

家に帰れる安堵感と共に、そっけない元来た道の風景、早く出ていけ、早く出ていけと追い出されるようでした。

 

 

そんな以前迷って引き返した道を、今日は久しぶりに通りました。

するとどうでしょう。今日はすっかり美しく、魅力たっぷりの山の景色に戻っていたのでした。

 

山は生きている。と思いました。

私たち人間よりも大きな大きな存在として、人間を見つめている。

そして時には邪悪な口となって、人間を笑う。

優しくて、厳しくて、怖い。それが山。それが山の神霊です。

山を舐めてはいけない。と昔から言われています。

山は神霊だからです。

 

山を穢してはいけない。

山は神霊だから。

 

ソーラーパネルがこの山を覆い始めています。

 

空木更紗

 

 

空木更紗です。

 

次世代陰陽道の学びの中で登場する神宮、

伊勢神宮はもちろんですが、実はもう一カ所、とても重要な役割を持つのが熊本県上益城郡山都町の幣立神宮です。

先日私は幣立神宮へ行ってまいりました。二度目の参拝になります。

 

 

 

幣立神宮は道路から、いきなり急な階段を登ります。

私は普段の運動不足を反省しつつ、息を切らしながら登りました。

本殿に参拝した後は、裏の杉林の中の道をくだります。

赤龍、青龍、そして黒龍の気配を感じる杉林。

私は時々その杉の幹に触れながら、よろよろと前の人に遅れないように降りて行きました。

 

降りたところには収穫の終わった田んぼと、沼のような池と、小さなお社があり、そこが有名な東水神宮です。

社の手前の管からチョロチョロと出てくる水で手を清め、参拝して、

さあ、もと来た杉林の坂を登ろうと思ったらあら不思議、

何らかのパワーをいただいたらしく、足が軽い。全く疲れも感じない。走って山道を登れてしまうんです。

というわけで、

その日一日私は絶好調に元気でしたが、神がかりのパワーに実際の肉体は付いていけてなかったのでしょう。

翌日はいろんなところが筋肉痛でした。

 

 

そのパワーもさる事ながら、私は今回とても感動したことがありました。

それは社務所といえば良いのかな?本殿の隣の小さな建物。

そこに箱があって、大小のおふだ(大麻)と数種類の御守りとが並べてあります。箱には、「どれでも千円」というような内容の張り紙がしてあり、その隣に代金を入れる箱がポンと置いてあります。

おふだや御守りを求める人は、箱から品物を自分で取り出し、脇に重ねてある白い封筒を取っておふだや御守りを自分で入れて、その代金を隣の箱に入れてくるのです。

おふだの箱にも代金の箱にも蓋はなく、ただ千円札が重ねて置いてある上に、卵形のガラスの重石がポンと乗せてあります。

購入者はその重石を退けて、自分の千円札を前の人が重ねた千円札の上に乗っけて重石を再び乗せるだけ。

私は大麻と御守りを授かってきましたが、初めての経験で緊張しました。

 

監視の人が居ない場所に現金が置いてある。それは滅多にない光景です。

無人の神社のお賽銭箱にも蓋はあるし、無人野菜販売所の代金入れにだって、蓋もあれば鍵もかかっています。

 

「神の見ているところで悪いことはできまい」

そう言われているのですよね。

確かにおっしゃる通り。

私たち日本人は先人から「お天道様が見ていらっしゃるから悪いことは出来ないよ」と代々教えられて来たのです。

 

人間が神さまを信じるのと同じように、

神さまが人間を信じていらっしゃる。

私たちは神さまに信じてもらえている。

 

それに気が付くと、それはそれは嬉しくてありがたいことなのです。

大きな学びとなるのです。

私は心から、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

五百枝杉(いおえすぎ)と高天原

尋常ではない枝振りの大杉と未体験の鳥居の先の空間、

 

幣立神宮とはそのようなところです。

ぜひ一度ご参拝ください。

 

空木更紗

 

 

 

 

 

 

 

空木更紗です。

思考は現実化する。と申しますが、

「そうは言ってもなかなかお金持ちになった自分を想像してもお金は入ってこないよ、」

という話はよく聞きます。グラサン汗

しかしネガティブな思考を現実化させるのが得意な人は身近にもおります。悲しいダウン

 

まず私の母です。

老人施設に入居したら、自分よりも身体が不自由になった人を食堂で毎日目にすることになりました。驚き

「自分の将来を見るようで怖い」

「ああなったらどうしようどうしようと毎日考えてしまう」

そう申しておりました。

私は「そんなことを考えていたら現実化するから、元気なおばあさんである自分だけを想像してね」といつも言っておりましたが、93年間も続けてきた思考の癖はそう簡単に治りません。ショボーン

結局先日軽い脳梗塞で倒れ、一夜にして車椅子の生活になってしまいました。悲しい

 

私の幼馴染もそうです。看板持ち

幼馴染の母親は62歳の時に原因不明の病気で急に歩けなくなりました。

幼馴染は自分もその年齢になった時に、「自分も母のように歩けなくなったらどうしよう」驚きと悩んだ結果、片足だけ浮腫みが出るようになり(歩けなくなる前の彼女の母もそうだったらしい)さらに、足の裏に不気味なしこりを発見しました。

病院に行っても原因が分からなかった(そこも母親と同じ)のですが、変な薬を投与されるとマズいなと直感した私は、薬をなるべく出さないお医者さんを紹介し、彼女にはそこに通ってもらいました。

結果、鍼治療などの末に、気がついたらしこりも浮腫も消えていました。ニコニコ

 

幼馴染はその2年後、実の姉を脳の病気で亡くしました。

すると今度は自分もそうなったらどうしようと悩んだらしく、急に物忘れがひどくなりました。ガーン

病院に行ったら、「認知症の初期症状」との診断を受け、毎月病院で点滴療法をやっているそうです。

 

失敗は確かに増えました。しかしそれについて悩むのは逆効果なので、気にしないようにと話しています。

でもこういうタイプには「気にするな」という励ましの言葉は効果がないことも分かっています。

ですので、友人枠の範囲で占術調整で職場の同僚の理解を促したり、回復の方向に物事が進ように変爻をかけたり、

物理的なことではサプリを勧めたり、電磁波対策をアドバイスしたり、あらゆる方向からアプローチしています。

結局潜在意識が治ろうとしないと症状は改善しないので、きっかけ作りを色々やって、「〇〇のおかげで最近良くなって来た」という実感を感じられるようにアドバイスしています。実感が沸けば「治る」と潜在意識が認識して、治って行きます。

 

ネガティブ思考は思わぬ強力な力を持っています。

心配は呪いと同じ。

今回は自分を心配するあまり、自分に呪詛をかけてしまう結果になった例をお話しいたしました。

 

カウンセリングはこちらのページをご覧ください。

 

空木更紗