先日、所属する財団法人の会合があり、新橋のとある中華料理屋を訪れた。その際、同じ円卓の隣に座ったかたの話が印象的だったので、書いてみようかと思う。
そのかたは、関西圏で事業を営むかただけあって、非常に饒舌で、面白い話をいくつも聞かせてくれた。その中のひとつ。出会いと別れについて。
人は、出会ったと同時に、別れへの道を進んでいる。それは、突然の別れかもしれないし、死別かもしれない、段々と疎遠になるフェードアウトのような別れかもしれないし、決別かもしれない。別れかたは色々とあるが、確実なのは「必ず別れが来る」ということ。そして、人は別れを恐れるが、本当に別れが怖いのであれば、出会いすらを拒絶すればいい。出会わなければ、必然的に別れもない。でも、それはできないから、結局、人と人とは出会う。であるならば、別れなどは、そもそも恐れるに足りないのではないか、というもの。
この話から派生したのが、人は生を受けたと同時に、死への道を進んでいるという話。人は生を受けた段階から老い始める。もちろん、幼少期には、それを「成長」と呼ぶが、老いへの一歩であることは代わりがない。即ち、生まれては老い、病に倒れて、死を受け入れるという段階があるのだ、という。これを文字に直すと「生老病死(しょうろうびょうし)」となる。これは仏教用語で、「人間が抱えている苦悩の四大要素」らしい。つまり、生きることも苦、老いることも苦、病になることも苦、死ぬことも苦、ということ。そして、逆を言えば、これらを達観してしまえば、何も恐れることはないのではないか、ということ。つまり、苦を甘んじて受け入れてしまえば、それは「恐れ」ではなくなるというのである。
うーん。確かに言わんとすることはわかる。でも、今すぐには「理解」はできないなぁ・・と考えていたら、そのかたはそれを見越したようにこう言った。「今すぐにはわからんでしょ。40年後くらいに、そういえばそんな話をしたじいさんがおったなぁ、と思い出してよ。」と。そして、「一足先に大阪帰るわ!」と言って、豪快に笑いながら帰っていった。
今日も良い出会いがあったな、と思える日だった。
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そのかたは、関西圏で事業を営むかただけあって、非常に饒舌で、面白い話をいくつも聞かせてくれた。その中のひとつ。出会いと別れについて。
人は、出会ったと同時に、別れへの道を進んでいる。それは、突然の別れかもしれないし、死別かもしれない、段々と疎遠になるフェードアウトのような別れかもしれないし、決別かもしれない。別れかたは色々とあるが、確実なのは「必ず別れが来る」ということ。そして、人は別れを恐れるが、本当に別れが怖いのであれば、出会いすらを拒絶すればいい。出会わなければ、必然的に別れもない。でも、それはできないから、結局、人と人とは出会う。であるならば、別れなどは、そもそも恐れるに足りないのではないか、というもの。
この話から派生したのが、人は生を受けたと同時に、死への道を進んでいるという話。人は生を受けた段階から老い始める。もちろん、幼少期には、それを「成長」と呼ぶが、老いへの一歩であることは代わりがない。即ち、生まれては老い、病に倒れて、死を受け入れるという段階があるのだ、という。これを文字に直すと「生老病死(しょうろうびょうし)」となる。これは仏教用語で、「人間が抱えている苦悩の四大要素」らしい。つまり、生きることも苦、老いることも苦、病になることも苦、死ぬことも苦、ということ。そして、逆を言えば、これらを達観してしまえば、何も恐れることはないのではないか、ということ。つまり、苦を甘んじて受け入れてしまえば、それは「恐れ」ではなくなるというのである。
うーん。確かに言わんとすることはわかる。でも、今すぐには「理解」はできないなぁ・・と考えていたら、そのかたはそれを見越したようにこう言った。「今すぐにはわからんでしょ。40年後くらいに、そういえばそんな話をしたじいさんがおったなぁ、と思い出してよ。」と。そして、「一足先に大阪帰るわ!」と言って、豪快に笑いながら帰っていった。
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