以前、こんな記事を書いたことがあります。
〝世の中に絶対的な尺度などはなく、最終的には当事者同士が合意形成できるかどうか。〟
例えば、子ども同士がマクドナルドのポテトを分けるとき。
「そっちが多い!」「いや、そっちの方が多い!」
と喧嘩になった場合。
それを本質的に解決するのは、親の仲裁でも、もちろん警察でもなく。
本人たちがいかに納得して「合意」するか、に尽きます。
これは不動産に関する争いでもそう。
夫婦が別れる際に起こる争いでもそう。
国同士の争いでもそう。
第三者や、法律、ルール、慣例などというものは、合意を形成させる際の手助けにしか過ぎません。
「彼が言うなら、そうかも。じゃあ、そうしようか。」
「法律でそう決まってるなら仕方ないな。」
「ルールね。そりゃ、しょうがないね。」
「過去からそういうことになってる?うーん、まあ。じゃあ、納得するかね。」
でも、よくよく考えてみると。
これらは、「たまたま」合意形成できたに過ぎないと思うんです。
彼が言ってることはおかしいかもしれない。
法律がそもそも、おかしいかもしれない。(念のため:法律は守ります。)
ルールを改善する必要があるかもしれない。
慣例?お役所仕事の代名詞!
何が言いたいかと言えば、こういったものは合意形成の「手助け」になる場合もあれば。
自らを「惑わす」ものになる場合もあるということ。
惑わされてしまうと、生きるためのベクトルが、ネガティブな方向に傾くことだってありえます。
そうならないために、必要なこと。
自分の中に、自分の「尺度」をしっかりと持つこと。
これです。
彼の言ってること、一見、かっこいいし正論だけど。なんかおかしくない?
その法律、もちろん守るけど、そもそも変なこと言ってない?
そのルールさ。前提条件が間違ってない?改善できることない?
慣例ね。過去は否定しないけど、今後のために変えられることもあるんじゃない?
こういう切り口で、思考をスタートさせるためには。
自分の中に、柔軟且つ強固な尺度が必要になります。
これは、生まれながらにして在るものではなく。
自分で育んでいくものだと感じています。
思い返してみると、私は自分の中の尺度を「コーチング」で育んできたように思います。
コーチングは、人から受けて、自分もやって。
インプットとアウトプットを繰り返しながら自らを醸成します。
コンサルタントやカウンセラーは、「答え」を与えることが多いようですが。
コーチングの場合には、「答え」は与えません。
受け手の中から「自分の答え」が生まれてくるための手助けをします。
そういった意味で、「尺度」がゆっくりながらも確実に、着実に、育まれていきます。
京都でいろいろと考える時間がありました。
自分が行うセッションの精度を更に高めるために、自分が受ける際の意識付けを改めて考えようと。
思ったのでした。

写真は、先日の恵比寿にて。
ピザ専門店で、なんとピザのメニューが2種類しかありません。
美味かったなあ。
今日も、美味しいランチを!
〝世の中に絶対的な尺度などはなく、最終的には当事者同士が合意形成できるかどうか。〟
例えば、子ども同士がマクドナルドのポテトを分けるとき。
「そっちが多い!」「いや、そっちの方が多い!」
と喧嘩になった場合。
それを本質的に解決するのは、親の仲裁でも、もちろん警察でもなく。
本人たちがいかに納得して「合意」するか、に尽きます。
これは不動産に関する争いでもそう。
夫婦が別れる際に起こる争いでもそう。
国同士の争いでもそう。
第三者や、法律、ルール、慣例などというものは、合意を形成させる際の手助けにしか過ぎません。
「彼が言うなら、そうかも。じゃあ、そうしようか。」
「法律でそう決まってるなら仕方ないな。」
「ルールね。そりゃ、しょうがないね。」
「過去からそういうことになってる?うーん、まあ。じゃあ、納得するかね。」
でも、よくよく考えてみると。
これらは、「たまたま」合意形成できたに過ぎないと思うんです。
彼が言ってることはおかしいかもしれない。
法律がそもそも、おかしいかもしれない。(念のため:法律は守ります。)
ルールを改善する必要があるかもしれない。
慣例?お役所仕事の代名詞!
何が言いたいかと言えば、こういったものは合意形成の「手助け」になる場合もあれば。
自らを「惑わす」ものになる場合もあるということ。
惑わされてしまうと、生きるためのベクトルが、ネガティブな方向に傾くことだってありえます。
そうならないために、必要なこと。
自分の中に、自分の「尺度」をしっかりと持つこと。
これです。
彼の言ってること、一見、かっこいいし正論だけど。なんかおかしくない?
その法律、もちろん守るけど、そもそも変なこと言ってない?
そのルールさ。前提条件が間違ってない?改善できることない?
慣例ね。過去は否定しないけど、今後のために変えられることもあるんじゃない?
こういう切り口で、思考をスタートさせるためには。
自分の中に、柔軟且つ強固な尺度が必要になります。
これは、生まれながらにして在るものではなく。
自分で育んでいくものだと感じています。
思い返してみると、私は自分の中の尺度を「コーチング」で育んできたように思います。
コーチングは、人から受けて、自分もやって。
インプットとアウトプットを繰り返しながら自らを醸成します。
コンサルタントやカウンセラーは、「答え」を与えることが多いようですが。
コーチングの場合には、「答え」は与えません。
受け手の中から「自分の答え」が生まれてくるための手助けをします。
そういった意味で、「尺度」がゆっくりながらも確実に、着実に、育まれていきます。
京都でいろいろと考える時間がありました。
自分が行うセッションの精度を更に高めるために、自分が受ける際の意識付けを改めて考えようと。
思ったのでした。

写真は、先日の恵比寿にて。
ピザ専門店で、なんとピザのメニューが2種類しかありません。
美味かったなあ。
今日も、美味しいランチを!