先の日曜日。

所有物件のひとつ、マンション管理組合の臨時総会。
うっかり理事を引き受けたために、やむ終えず参加。

その後、町内会のイベントに参加。
「目黒の秋刀魚」ならぬ「目白の秋刀魚」を食べる会。

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美味しそうに焼けています。

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同じ広場の別の場所でも。

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長女(4歳1ヶ月)は、初めて見たんじゃないかなー。
外で秋刀魚を焼いているところ。

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以前、秋になると「秋刀魚を焼こうの会」を企画して、毎年、川沿いに七輪持っていって秋刀魚を焼いている時期がありました。
また企画しようかな。


さて、言葉は強いですが、今日は「議論できない馬鹿」の定義を。

一般的に仕事の打ち合わせともばれば、双方の主張は汲み取りやすいというか、きちんとした「主張のベクトル」が双方に存在していて、それに対していかに合意点を作り出すか、という作業になるはずです。

いくら主張が食い違えど、お互いがきちんと「主張の根拠」を持っている場合がほとんどなので、その打ち合わせが決裂しようがしまいが、それはそれで「議論」として成立した結果なわけです。


私の持論であり、この持論そのものをここで議論するつもりはないのですが。
「そもそも世の中に真理などない」という考えがあります。

世の中は諸行無常であり、正義だって国、法律によってころころ変わります。

真理がなくて何があるんだ、と言えば。
あるのは、「合意を取れるか取れないか」だけと思います。

その過程で、法律だったりモラルだったり仲裁者だったり、そういった「外部の尺度」を入れて、当事者同士の合意点を探るということになると。


双方が合意できれば良いし、できなければそこまで。
決裂させて終わり、ということになります。


ところが、そうも行かない「議論」というものがあります。
町内会などもそうなのでしょうが、マンションの管理組合などは特にそう。

合意点は必ず作らなければなりません。

しかしながら、基本的に個々が全く違う生活基盤を持った人たちの集まりなので、なかなか議論が成立し難い。
しかも、生活に密着した話なわけで、うやむやにはできないテーマが多いのです。

ただ、そうは言っても、何とか合意点を作り出して、その議論を収束に導く努力を皆でしていく必要があります。


ここで、「議論できない馬鹿」の登場です。

私の中での定義は、
自らの主張だけを感情的に繰り返し その主張に対する疑問を投げかけられても、何ら明確な合理的説明すらせずに質問者を罵倒する人、
これに尽きます。

「合意点の形成」など最初から頭になく、とにかく自己の主張のみを、
それも何ら合理性のない自己の主張のみを通そうとする人のことです。


普通の議論なら、ここで席を立って議論を終了させれば良いわけですが、マンション管理組合とは同じ権利を持った人々の集まりなので、「誰々の権限で打ち合わせは終了」みたいなことができないわけですよね。

ほんと、ひどい話です。


こういったことに時間を取られると、自己の生産活動にも影響が出てしまいます。
来年は、きちんと自分の身のフリを考えて判断したいと思います。


ちょっと感情的な記事になってしまいましたな。
ごめんなさい。