円仁は天台宗の僧侶で、彼が遣唐使として中国へ行ったときの記録を綴ったものが「入唐求法巡礼行記」です。この中に、彗星を見たという記録があります。
838年10月22~23日の部分に・・・
「早朝、東南の空の隅に、長さ2.4メートル程の彗星を見た。曇っていて良く見えない。23日の夜にはハッキリと見えた。大きさは全体で30メートル以上もある。
地元の人は光る刀と言い、不吉の前兆と捉えた。出現してから三日程たつ。どこの寺でも、毎日七人の僧侶で七日間、涅槃経と般若経が読まれた。」(要約)
円仁は、前年の三月にも彗星が現れ、その時も大騒ぎになった話を聞いて、それは自分が昨年日本で見た星と、同じ星の話である、と確信します。838年の1年前ですから、前年の星はハレー彗星と言うことになります。そしてこの時はハレー彗星が最も地球に接近した年で、彗星全体でも4番目に最接近した年です。
そして、ハレー彗星が最も地球に接近したのと同じくらいの時期に、「星曼荼羅」が生まれています。
この「星曼荼羅」は、日本オリジナルのマンダラと考えられています。
曼荼羅は、サンスクリット語の音写で、直訳すると「本質を得る」という意味だそうです。
「星曼荼羅」に登場する仏様は、一字金輪仏頂(いちじきんりんぶっちょう)を中心に、北斗七星、九曜星、十二宮、二十八宿などです。一字金輪仏頂は北極星であり、お釈迦様でもあります。宗派によっては、妙見菩薩、尊星王、熾盛光仏など、中心となる仏様はさまざまです。
外周が二十八宿、その内側が十二宮、ここまではどの図でも同じですが、中央部分の九曜星や北斗七星の配置は、丸形か方形か、また作者により相違があるようです。
「本質を得る」という意味である曼荼羅。そして、その曼荼羅が生まれた頃と同じ時期に彗星が接近している。単に、彗星接近によって、星への興味、関心が高まった、という見方もできますが、それだけではないような気もします。
彗星と曼荼羅に何らかの関係があるのでは?と想像すると、なかなか興味深いですね。