紀元前221年から210年まで統治した中国最初の皇帝、秦の始皇帝は、国家レベルの「高速道路」として機能する「秦の直道」といわれる、広大な北方領土に対する軍事的・行政的な支配力を行使することを可能にした道を建設しました。
この道は中国統一直後の紀元前221年から206年までのわずか5年間で建設されたとされています。
「秦の直道」のすごさは、紀元前の事業であるのに、地形の自然な輪郭を無視して、山々、谷、黄土台地をほぼ直線的に貫いていたのです 発掘されたのは、秦帝国の古代中心地に近い陝西省に位置しています。
この区間は、かつて900キロメートル近くにわたって伸びていたルートの一部であり、現在の西安近郊の秦の首都、咸陽から始まり、現在の内モンゴル自治区包頭近郊の莒源まで続いていたのです。
古代の年代記には、この事業の規模が鮮明に描かれており、労働者たちは「北から南へ直接通じる通路を作るために谷を埋め、山を平らにした」とされています。





