幕をおろしました。
2011年に肝細胞癌と診断され、13年に渡って治療してまいりました。
家から歩いて行ける距離にある総合病院で開腹手術4回、ラジオ波2回、約8年お世話になりましたがそこではもう手に負えないと、大学病院へ転院となりました。
最初の抗がん剤治療では癌が消えてしまう位の効果が出て喜んだ事を今でもはっきり覚えています。肝動注化学療法2回、治験にも参加させていただきました。
治療を続けていくと腎臓のほうへ悪影響が出てしまい、その時点で中止。
間もあけずに次の抗がん剤へ…と、主治医を信頼して、治ると信じて頑張りました。
しかし、去年の秋頃、診察から帰って来た
夫から「肝臓の半分が癌でうめつくされてるらしい」との報告がありました。
不謹慎ですが私はその時「まだ半分あるじゃん。大丈夫だよ」と、そんな軽い気持ちでいました。
半年以上続けられた2回目の肝動注も、腎機能の悪化により暮れに中止となり、残す標準治療は2種類のみと告げられました。
1月の初めにCTを撮り、治療を続けられるとの見解となり2月の初めに今後の治療の為に肝生検と残す2種類の抗がん剤の1種類の治療が始まりました。
4日間の入院で行いましたが、退院後、食欲減退、黄疸も出始めてしまい2月26日に診察予約をしていましたが、1週間早めてもらい、私も付き添って病院へ行きました。
急遽CTを撮影した所、1月にはまだ腫瘍のない肝臓がありましたがこの時点で肝臓がすべて腫瘍でうまってしまった状態となっていました。
主治医からもう出来る治療がないと伝えられました。緩和ケアの予約を取る為に、主治医が調べてくれた所、一番直近で3月8日。その時、主治医が
「それだと厳しい。時間がない」と小声で言いました。
えっ?余命1ヶ月もないって事?と信じられませんでした。
緩和ケアの予約を無理矢理入れてもらい、いろいろな事がスムーズに進んだ事は本当に助かりました。
できる所までは自宅で、もし何かあれば最初お世話になっていた総合病院での受け入れをお願い出来ました。
介護ベッドもすぐに搬入され、ケアマネージャーや在宅医療.在宅看護などもすぐに手続きがとれ安心して自宅で看病出来ました。
徐々に食欲がおち、黄疸もひどく、その為に1番つらい症状として出たのがかゆみでした。強い塗り薬や飲み薬も処方されましたがかいてもかいてもかゆさがひかない、本当につらそうでした。
最後の3日くらいでせん妄も出始め、最後の最後までトイレに歩いて行こうとしていました。
14日の午後から話す事も出来なくなり血圧も低下してしまいました。
あらかった息づかいが徐々に弱くなり、私と息子2人に見守られながら息をひきとりました。
夫は几帳面で少し口うるさい所がありましたがとぼけたおもしろさもあり、とにかくマメで物知りな人でした。
夫の背中を見て育った息子達はとても素直に育ってくれました。
そんな息子達と、最後自宅で看取る事ができ、精一杯の「ありがとう」が伝えられたので、きっと夫も喜んでくれたと思います。
今まで、夫のブログをフォローしてくれた方々、ブログを見にきてくれた方々。
「今日は○○人の人が見てくれた」と
いつも喜んでおりました。
本当にありがとうございました。