最近読んだ本でおもしろかったのは、
菊池成孔の「東京大学のアルバートアイラー」。
ジャズ史なんだけど、単なるジャズ史ではなくて、
”音楽の記号化”という視点をベースに描いているのがミソ。
自分は哲学好きなので、
プラトンから始まる西欧独特のロゴス(=記号)中心主義が、
崩れていく過程の中に、ジャズやブルースが生まれ、
発展してきたという捉え方をしてみたんだけど、すごく面白かった。
数学でいうところの、
ユークリッド幾何学→リーマン幾何学
物理学でいうところの
ニュートンの宇宙論→アインシュタインの宇宙論
哲学でいうところの、
デカルトの哲学→フッサールの現象学
みたいに、
バッハの12音平均律とピアノ、そして調性が
ジャズやブルースによって崩されていくような図式も読み取れるし、
ジャズが”バークリーメソッド”というロゴス(=記号)に基づきながらも、
そのもとで、安定的で絶対的な音楽をするのではなく、
ロゴス(=記号)の制約に基づきながらも、
そのもとで、きわめて不安定で相対的な即興を繰り広げるという、
すごくスリリングで挑戦的な音楽的営為だっていうのが、
この本読むとわかります。
しかも、さらに進んで、”バークリーメソッド”というロゴスを乗り越えるために、
つまりは、フリージャズなんだけど、
どんな人がどんなアプローチで、その壁に挑んでいったのかも、
とてもわかりやすく書いてあります。
青編が、通史で、
赤編が、テーマを絞ったゼミ。
両方ともお勧めです。
基本的には、譜面の読めない学生相手の講義録なので、
「憂鬱と官能」よりも、わかりやすいっていわれてるみたいです。
簡単に言うと、
アイラーの青版のテーマは、
音楽っていうはかない存在を、
言葉・記号っていうもので、安定的に再現したい、
っていう、欲求が西洋にはあって、
その欲求のピークが、
・バッハの12音平均律
・バークリーメソッド
・MIDI
っていうものだったりするという話。
それを視点として、ジャズやポピュラーミュージックの展開を語っている、
そこがとってもスリリングで自分にとってはおもしろかった。
もう少しここら辺を説明しますと、
こういう言語化・記号化の欲求って、西洋人はものすごく強くて、もはや病的なわけです。
ユークリッドも理想の絶対的な平面が存在すると仮定して幾何学を作ったし、
ニュートンとかも絶対に揺るがない絶対時間・絶対空間を想定して宇宙論をいってたし、
哲学でも、デカルトみたいに、絶対的に揺るがない理性としての自己を想定して哲学してたりするんだけど、
そういう思い込みが、20世紀に近づくにつれて、どんどん崩壊していくっていう話がある。
たとえば、曲面を想定した幾何学っていう可能性(リーマン幾何学)が見つかったり、
実は、時間も空間も相対的なんじゃないか(アインシュタイン物理学)っていう話がでてきたり、
自己って、なにも理性ばっかりじゃなくて、もっと不合理で不安定なんじゃないか(現象学)、
みたいな風に。
(ちなみに、ニーチェがいった「神は死んだ」っていうのは、そういうドクマはもう捨てようよっていうこと。)
で、話が戻って、音楽を譜面にして記号で捉えて、
がちがちに調律したピアノで、いつでも安定的に音を再現するっていう行い、
これは、クラシック音楽と言い換えてもいいかもしれないけど、
そういうドクマが崩壊する流れとして、ジャズやブルースも捉えられるのかなって思ったりしました。
ドグマが崩壊してきたっていうのをもう少し説明すると、
これは文明の発達によって、いろいろな矛盾点が生まれてきたっていうことでもあるんだけど、
リーマン幾何学とか、アインシュタイン物理学とか、現象学の例以外でも、
フランス革命なんかもそうで、市民による政府によって、
すべての人間が平等に権利があたえられる理想社会が生まれるのではって期待したのに、
結局本質は、ブルジョワジーによる新たな支配体制だったり、
ナポレオンみたいな独裁者が生まれたり。
人間理性を信奉して、ここまでガムシャラにがんばって発展してきたけど、
実は矛盾だらけじゃん。本当に自分たちの文化・社会は、
直線的によりよいものに発達していくんだろうか???みたいな疑問があふれ出てきた。
で、理性万能っていう思い込みを捨てて、限界を認めていきませんか?
っていう流れが生まれてきたと。。。
すべてのことをデジタルに理論どおりに把握することはできないし、
数学的に予測できるものばかりじゃないよねと。
そういった流れを音楽シーンでいえば、
12音平均律やら、短調長調やらによる、
非常に数学的な音楽理論(=理性で分析・構築・再現できる音楽の記述法)と、
ピアノっていう半音ごとにガチガチに調律されたスーパー理性的なミュージックマシンとが、
手を組んで、理性による音楽(=いわゆるクラシック音楽)を体言していったんだけど、
ロマン主義のあたりから、そのあたりが崩れてきたと。
さらに、ブルースやら、民族音楽やらが登場してきて、
どうすればいいの?っていう状況が生まれてくると。
なんとか、西洋音楽理論をベースにした
ポップミュージック作曲理論である、バークリーメソッドで囲い込もうとするけど、
なかなかうまく行かない。。。。みたいな。
アイラー赤版は、ゼミ形式でテーマごとに音楽を論じるんですが、
そこらへんは、まさにアイラー赤版の「ブルース」とか、「即興」っていう章を読むと、
すごくよくわかると思います。
最近、グレングールドをよく聞くのですが、
彼がなぜ異端と言われるのかって、結局、クラシックは、理性による音楽の再現
=作曲者の意思を再現すること、だったりする訳だからなのかもしれない。
(そういや、のだめも、千秋にそういったダメ出しされてたし。)
逆に、ジャムセッションとか、リミックスとか、カバーとか、
作曲者<演奏者・編曲者っていうカルチャーに馴染んだ僕らとしては、
譜面を無視したり、即興の要素が強い、彼の演奏が逆にクールだったりするんだなあ、
なぞと思ったりしました。