憂鬱な感情を人々に発信する必要はあるだろうか?
人それぞれかもしれないね。
でも僕は、あまりに
感情が不安定である。
物事に対する考え方がまるでなっていない。
だが、それはただの否定だ。
考え方を正しく形成する為に、
毎日考え続けた。
僕は辛かった。
考えすぎる毎日が。
だから、笑っている人に対し、
「なぜそんなに辛いのに笑える?」
「なぜそんなに嘘が上手い?」
など思ったり、
いつも孤独な人に対し、
「感染した毒がまだ付いているから、
これ以上振り撒かないように頑張ってるね。」
「それが君にとって
効率のいい成長法なのだろう?」
など思ったり、
人間関係に断捨離をする僕に、
関わる人には、
不思議だと思ったりする。
考えを正しくする為の思考回路形成が、
いつの間にか、性格になっていた。
考えすぎるからこそ、不安にもなる。
不安な僕に対し、
「考えすぎ」
などと言う、誰かや、僕がいる。
その一見、短所に見える物は、
なんでも治そうと、
思うべきではないのかもしれない。
勿論、治す事で何か得る事ができるなら、
治せばいい。
だが、性格を治そうと思うのは、
既に自己否定なのではないだろうか。
僕らが思うべきは、
そんな苦しみを考えるのではなく、
それをどう使うか、
また、それ以外を伸ばす必要がある。
行動に盲目な僕らは、
他人が必要であるにも関わらず、
知りもしない人に対し、
表面上の特徴だけで、
不必要判定を下す。
理想に近い人を探すべきだ。
周囲でも、本でもいい。
自身が理想になる為に、
理想者の真似をすればいい。
オリジナルでありたい僕は、
真似が大っ嫌いである。
しかし、真似して学び、
初めてオリジナルが創れる。
やりたくない訳じゃない。
自分らしさを形成しようじゃないか。