● Shrumが最初に関係したUFO研究団体はNICAPであるが、それは事件の約9か月後、1965年5月26日付の手紙があります。
奥さんのJudi ShrumからNICAP会長のDonald E.Keyhoe宛である。元々雑誌TRUE1965年1月号のKeyhoeの記事を読んでからその存在を知ったものである。
手紙にはShrumの奇異な体験が書かれており、興味があれば連絡を取ってほしいと書かれている。
Shrum夫妻
NICAP会長 Donald E.Keyhoe退役少佐
Keyhoe宛のJudi Shrum自筆の手紙ですが、比較的読み易い筆記体です。
夫であるDonald ShrumのUFOとロボットの体験が綴られています。
木の上で過ごした事や、体験を伝えたい気持ちが書かれています。
空軍との面談の話が書かれています、矢尻にロボットを射たグレイ様の付着物があったことも記載されています。
Shrumは防衛産業という職業柄、失職を恐れて新聞への情報秘匿をしていたことが書かれている。
Shrumの体験に関心があれば連絡が欲しいと書かれている。
●NICAPのKeyhoeへ手紙が届いて1965年の中頃、湾岸支部のPaul Cernyがこの事件の先頭に立つことになります。CernyはNICAP会員のDavid Sletteと協力体制を取って進めることになります。
Shrumへのインタビューは1965年7月10、11日に行われテープから記録が取られています。
以下がその報告書になります。
NICAPが発表したShrumとのインタビュー記録 1968年8月29日付
質疑応答は19ページに及びます。特に新しい情報はありません。
●その後、NICAPはPaul Cernyの手によって纏められた報告書を1968年9月25日に発行します。
Cisco Grove事件の集大成
コンテンツ
NICAPが関わるきっかけとAPRO他の事件の扱いについて:Ted Bloecherの序文
Cernyの本文
報告書はスケッチや地図を含んで延べ35ページ
* その5.に続く・・・・・
@Kz.UFO現象調査会
















