●ロボットの襲撃を受けたShrumは3本の矢を放ち、また身の回りの物に火を付け投げつけて応酬した。 Shrumはロボットのガス攻撃で意識を失い木の上で翌朝眼を覚ましたが、既にロボットもヒューマノイドも消えていた。
Shrumは茂みにあった水筒と2本の矢を回収しその後キャンプへ辿り着くことになるが、その後(2週間後)の現地再訪の際、3本目の矢を回収している。(この辺りの詳細は、日本の事件についての記事やAPROの記事も含めて誤報がある。)
身長150cm程度のロボット2体出現
矢の攻撃でロボットを転倒させる
回収されたロボットを射た矢
Cisco Grove 事件の動画
帰宅したShrumはまるで”白い紙の様に顔が真っ白だった”と奥さんのJudi Shrumが語っている。色々思考の結果、Shrumは家族と相談のもとファミリー・ドクターの元を訪れる。彼は胸と鼻の痛みが継続していたが、結果それは風邪と木の上で吊るされた状態からのものであった。
家族は放射線障害を心配していたが、その兆候は表れなかった。
その後Shrumの母親の関係で元サクラメント市立大学の天文学教授の、Victor W.Killickとコンタクトを取ることになる。電話でのアポイント後、9/8 Shrumファミリーと会談したKillick氏は、9/9付けの空軍宛の手紙を送付し、調査の依頼と共にShrumの体験談の信ぴょう性を認めている。
天文学者Killick氏がShrumに面会後、Mather AF 基地の司令官に宛てた手紙:Shrumの体験が記載されている。
最後にKillick氏の署名
●9/25:事件から3週間後に空軍は調査官2名(Captain McCloudとSergeant Major R.Barnes)をShrumの体験を聴取する為派遣することになった。聴取は空軍基地外のプライベートな住宅で行われている。
テープレコーダーの記録も行われ、空軍は3本の矢の内最良の矢を分析用に借用して行った。
それは45度曲がり、矢尻に少し明るいアルミニウムの様な掻きクズが付着していた。これは明らかにロボットを射た際の証拠になる矢であった。
後に空軍は分析の結果を否定し、コロラド大学のコンドン・グループに貸したと語っている。
空軍の調査官派遣に関する文書
空軍大佐の署名
● 空軍の分析結果は・・・・ネガティブ:空軍はNICAPのTed Bloecher(テッド・ブローチャー:物理的痕跡の研究で有名)への返信で、矢の分析結果とコロラド大学への貸与を記している。
●APRO James A.Harder(ジェームス・ハーダー)博士の登場:カリフォルニア大学バークレー校の土木工学教授でAPROの科学顧問
APROからの調査依頼を受けた、James A.Harder博士の手紙:Shrumの訪問を要請している。
● James E.McDonald博士(アリゾナ大学のUFO研究で高名な大気物理学者)の登場
アリゾナ大学のJames E.McDonaldからNICAP湾岸支部のPaul Cerny(この事件の中心的な調査員)へ宛てた手紙: Shrumのインタビュー記録に関する質問や情報を求めている。3本の矢の回収についての履歴に困惑している。
●ShrumはNICAPにも事件で使用した証拠の矢を分析用として貸与している。NICAP御用達の分析機関である、ペンシルバニアの研究所に冶金分析を依頼している。
研究所のコンサルティング・エンジニアのHenry C.Kaweckiは1966年6月13日付でNICAPのアシスタント・ディレクターであるRechard Hallに手紙を書いている。結果は何も発見されないというもので、期待外れに終わっている。
NICAP提携の分析機関による矢尻の分析結果は・・・・ネガティブ
オークリッジ国立研究所でのアイソトープ検査でも、正常な同位体の分布になっていると書かれている。
(異常に純粋であるが)
この結果についてNICAP湾岸支部のPaul Cernyは、矢の輸送の際箱に綿を詰めて入れたため、出し入れの際矢尻の付着物が取れてしまったのではと分析している。箱は既に捨てられていた。
* 以降、その4.に続く・・・・・
@Kz.UFO現象調査会










