ソコロにある記念碑

 

ザモラ巡査・着陸痕・チャベス巡査部長

 

 

ソコロにあるザモラの記念碑

 

 

 今回は、ソコロ事件第2弾として、懐疑主義論者として有名なPhilip J.Klassのソコロ批判とその反論、そして気球説と並ぶLEMビークル説(月着陸船)を取り上げます。

 

●まずKlassの著書としては、”UFO-Identified”や”UFO Explained”でソコロへの論評がありますが、-Explainedのほうが後からの出版で内容がダブっていますので、こちらで検証します。

1974年発行

 

 

Klassの署名本(蔵書)

 

 

klassとHynek:意外と仲良し

 

 

 

ソコロ事件で1章割いています。

 

 

 

全部掲載できませんが、一部掲載。

 

 

● Klassの主張は、まとめると以下になります。ここでは、GSW(Ground Saucer Watch)という”UFO写真のコンピューター分析手法”で一世を風靡した研究団体の会報からQ&Aを紹介します。私はGSWの回答は的を得ていると思います。

懐疑論者の意見は大いに参考にすべきです。理にかなったことを仰る方も多々います。

 

 

” GSW News Bulletin  Dec.1981”

Socorro,New Mexico:Revisited By.Kenneth&Ronal Firestone

       Contributing Work By.William H.Spaulding

 

1.Klass:物体の脚部の痕跡の件は、シャベルで故意に作られたものである。

 GSW:マーキングは固く押し固められていて、かなりの重量の物体によって荷重がかかったと考えられ、シャベル程度では無理である。

 

2.Klass:痕跡がシンメトリーではない。

 GSW:物体の脚部は噴射ガスの偏りの為に台形に付いていたと考えられる。

     また重心自体も中心から離れている可能性があり、起伏の激しい荒れ地への着陸の際には脚が平均していない方が安定し易いと考えられる。

 

3.Klass:着陸現場一帯の藪が物体の発した炎の影響を受けていない

 GSW:月面着陸噴射ロケットの推進力同様、排気噴射転向装置が付属していると考えられる。噴射ガスの力は減少させられていたので、付近の植物を燃やす様な影響を与えなかった。

 

4.Klass:町の住民が観光客を引き付ける為、言わば一発当て様と事件をでっち上げた

 GSW:この事件を巡り物見高い観光客と町の商人の間でお金が動いたのは否定できない。それはごく短期間の事で継続しなかった。UFO事件のでっち上げ程度でソコロの町の経済を豊かにすることは不可能である。

 

 

GSW News Bulletin

 

 

KlassとGSWの質疑応答

 

この質疑以外にも、ソコロの市長は銀行家で事件現場の不動産を所有しているとKlassは語っているが(Skeotic Magazine Vol7 No.4 1999)、その当時はDelia Harris氏が所有していた。この辺りの調査は、UFO研究家のKevin Randleのサイト、”A Different Perspective”2011.9.16に記載されている。

*Klassは1966年の12/16に2日間、ソコロ調査に赴いている。(Gary P.Posnerとのインタビューによる)

 

月着陸船(LEMモービル)試験機の可能性(GSW News Bulletin Dec.1981より)

 

1981年GSWの調査員は再びソコロを訪れ、カメラ、機材を使用して調査している。例の目撃されたマークの実物大の図を用意して距離とその見え方も実験している。結果は距離と目撃時間ではマークは認識できないというものであった。

・調査の際1.75マイル先にキラキラ光る飛行機の残骸を発見し、それがニューメキシコ工科大学の敷地内ということが判った。

早速大学のC.B.Moore教授(気象学)と会見し、経緯を聞き、1947年から始まったターミナル・エフェクト計画のため大部分が1950年代初めに到着したものであることが判った。

不思議なのは、ソコロ事件の12か月後にこの大学内で、LEMプロジェクトが実施されていたという事である。

 

 

事件の12か月後にLEMの実験が行われていた。

 

 

 

ソコロ飛行物体の正体は?A~Fまでの可能性。

 

 

 

政府のLEMテストの開始の件

 

 

月着陸船(目撃された物体は卵型で高速で去った!)

 

想像図

 

 

GSW調査員宛のMoore教授の供述書(ターミナル・エフェクト計画は1947年~1950年代初期、事件当時はまだLEM実験は無い。)

 

 

●残る可能性は?

私はやはり政府というか軍というか、極秘の実験機の可能性が高いと推察します。

この当時、GSWはロスアラモス研究所よりもカートランド空軍基地近くのサンディア研究所辺りから飛来したのではのないかという推測をしている。

ニューメキシコ大学の事件後のLEM研究は、偽装工作ではないかという気がしないでもありません。

事件後、何故かソコロに電波望遠鏡群が設置

米国立電波天文台の施設として、ソコロにカール・ジャンスキー超大型干渉電波望遠鏡群が設置された。これは通称VLA(Very Large Array)と呼ばれるもので、オペレーション・センターはあのニュー・メキシコ工科大学の敷地内にあり、パラボラアンテナ群は、国道

60号線を80Km西に行った、サンアグスティン平原に設置されている。

映画”コンタクト”の舞台にもなっている。

事件から17年後の何か因縁を感じる行動である。

 

 

 

 

Kz.UFO現象調査会