映画「オッペンハイマー」 を観て思うこと | きゅうりじいさんのBlog

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きゅうりじいさん、先日 横浜ララポートにある

映画館に久しぶりに出かけました。最近特に話題

になっている アメリカ映画「オッペンハイマー」

が上映されていて観てきました。字幕式の映画と

内容が難しく 大変疲れました。

78年前に広島に投下された原子爆弾の出来るまで

と制作した科学者の栄光とその後の苦悩について

知ることが出来ました。

これから観る人に 内容を知らせることは 良く

ありませんので 少しだけ。 あしからず・・・

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    あれから78年 その時 じいさんは

1945年8月、じいさんは国民学校5年生、太平洋

戦争末期で まだわら草履を履いて通学していた。

あの日の正午、アメリカが広島に「ピカドン」と

いう もの凄い爆弾を投下し、沢山の人々が一瞬

のうちに亡くなったと言う噂。それが原子爆弾と

云う物で「10万人以上が あっという間に焼け死

んだ」ということを 間もなく新聞などで知る。

それから1週間 8月15日の無条件降伏となる。

    

  およそ20年後 広島に旅行し

    原爆記念館を見学して 改めて

    原子爆弾の威力の凄さや

    もたらした 悲惨な光景をみて

  身の毛のよだつ思いを したのだった

 

  「原爆の父」オッペンハイマーという人は

  太平洋戦争が始まって5年

  アメリカの大統領 トルーマンは

     ソ連の参戦を知って

     早く戦争を終わらせるために

        原子爆弾の完成を 急がせる

  有能な物理学者 オッペンハイマーが

     多くの研究者と共に 研究を続け

    

    ヤット 砂漠で実験できたのは

     広島爆撃の ほん数日前のこと

 

   共同研究者から その過程と成果が漏れ

   当時のソ連の 原爆開発に繋がる

 

   その後、オッペンハイマーは

       後の 水爆作成には反対し

       共産主義者と 罵られ

       後悔と 苦悩の日々を送る

   一人の科学者の 栄光と苦悩の 物語

 

      惜しむらくは そして・・・

  この映画を観て 惜しむらくは

  なぜ 被災した広島の悲惨な死者や

     一瞬にして荒廃した大都市の

  状況の一部でも 取り挙げられなかったか

  それに

    夫婦の向かい合う 全裸像や

    濃厚なセックスシーンは

       なぜ必要だったのか

 

 アカデミー賞の多くの部門に

          ノミネートされている  

 この映画 貴方も観てみたいと

             思いますか