「灯火峠」のラスト・シーン。右から沢村国太郎、市川春代、尾上菊太郎





 田崎浩一監督の第2作目は、「灯火峠」(38年)である。


 時は幕末。舞台は九州豊前。天ケ瀬温泉で療養する岡見(沢村国太郎)の元に、妹・汐路(大倉千代子)とその夫・権代(尾上菊太郎)が現れる。権代は、汐路を離縁して、脱藩するというのだ。竹田城に戻った岡見に上意が下る。「脱藩を企てた権代を討て」という命である…。


 前作の「真如」(38年)同様、沢村国太郎と尾上菊太郎を使った時代劇である。前半は、上意討ちに奔走する沢村が主役だが、後半は、明治期に移り、大蔵省の役人となって出世した尾上が主役だ。天ケ瀬で温泉宿の亭主となった沢村の元に、尾上が妹の遺骨を届けるというのがラスト・シーン。


 尾上菊太郎は、六世尾上菊五郎に弟子入りしたが、23歳の時に映画に転身した。1932年には、「尾上菊太郎プロ」を作って新興キネマと提携していたが、34年に日活京都に移っている。剣戟一辺倒でない情緒的な優しい面を見せる点が持ち味で、この当時、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎作品にも重要な共演者として活躍していた。


田崎浩一の次の作品は、「出世の氏神」(39年)だ。落語の「芝浜」と「子は鎹」を題材にした作品。江戸のいなせな魚屋を沢村が演じ、志村喬が初めて田崎作品に顔を出す。その後が、「道成寺物語・安珍清姫」(同年)。安珍を美男子俳優・澤田清、清姫を山中貞雄監督の恋人と噂された深水藤子が演じた。そして続く「豪傑誕生」(同年)で、志村喬と本格的にコンビを組む。


道場の指南番である鬼塚無限斎(志村)の悩みは、後継者と目している次郎太(尾上菊太郎)が、家中で一番の弱虫であったこと。無限斎は、画策を用いて、次郎太を黒髪山に追いやった。ところが次郎太は、そこで剣術修行に励み、天晴れな腕前となって、城下へ降りてくる。


時代劇には珍しい、粋でコミカルな原作を書いたのは、丸根賛太郎である。後に阪妻の戦後第1作として大ブレークする「狐の呉れた赤ん坊」(45年)の脚本を書き、監督した人物である。当時、丸根は田崎の家のすぐそばに住み、2人は大の親友だった。そんな2人が語り合って話を作り、田崎が脚色して、監督した楽しい作品だ。


志村喬は、映画がトーキーになった時、演劇から映画に転向した役者だった。1937年に日活京都に入社。田崎が監督になって、日活を退社するまでの時期と、ほぼ一致している。この日活時代が、志村にとっては最も映画に出演した時代だったらしい。「最高記録が1年に26本出演しました。まだ若かったし、どんどん後が来るから、どんな役でもやりました」と述懐している。