外国人からの視点?と思われる描写がいっぱいだ




 オリジナル版「日本のいちばん長い日」を、3回にわたって述べてきた。では現在公開中のリメーク版はどうなのだろう?



 橋本忍脚本、岡本喜八監督による旧版は、昭和20年8月14日正午から翌日正午までの24時間を集中的に描いた。舞台は皇居周辺。つまり時間と空間を限定する〝密室劇〟の手法をとって、〝サスペンス劇〟を熟成していく。だから何回見ても面白いのだ。 

 

 一方、原田眞人脚本、監督による新版は、鈴木貫太郎(山崎努)の組閣指名から始まり、玉音放送で終わる長丁場。旧作はメイン・タイトルが出るまで、つまり8月14日正午に至るまでに20分しか要してないが、新作はそこまでに1時間20分も費やしている。


主要人物は昭和天皇(本木雅弘)、鈴木首相、阿南陸軍大臣(役所広司)の3人。端的にいえば、父親としてのこの3人とその家族を描いた〝ホームドラマ〟という構造になっている。日本民族という家族の頂点に位置するのが、昭和天皇という父親。つまり戦争を継続するか否かを子供たちは喧々諤々と議論している。しかし最後に神聖なる父親が登場し、決断し、戦争は終結する。日本民族が天皇を中心とした〝家父長制〟によって成り立つと見なせば、これはこれで一つの日本人論としては面白いのかもしれない。


それにしても、この映画の特徴は、妙に生々しくなく、熱っぽくなく、あくまでもクールなのだ。「妙に」というのは、一体、季節はいつなのだろうか?と思う。うだるような8月の熱い盛りなのに、皆汗一つかかないで行動している。同時に、一体、時代はいつなのだろうか?と思う。陸軍省は、三島由紀夫が自決した自衛隊の市ヶ谷駐屯地(旧作ではここでロケしていた)であるはずなのに、明治時代の校舎のように見える。さらに一体、舞台はどこなのだろうか?と思う。皇居は東京にあるはずなのに、ロケ現場は京都御所や寺であり、関西に行ったような気になってくる。


なぜそんな風になってしまうのかと考えたら、これはリアリズムよりは、外人が喜ぶ視点で撮っているからではないだろうか。ロケセットの選び方が、埃も汚れもなく、小奇麗で、まるで日本観光に来ているようだ。近衛師団長室に鎧が飾ってあるのも外人向け。クレジットの出し方も、常にアルファベットが併記されて、まるで「マッカーサー」(77年)や「終戦のエンペラー」(12年)などのハリウッド映画を見ているようだ。


旧作になくて、新作にあったのは、東条英機のシーンだ。冒頭に登場するが、後は尻すぼみ。これは、外国では天皇の次に有名なトージョーを出さないわけにはいかなかったからではないだろうか。


これらは、アメリカ生活が長かった原田監督の、外国で上映することを考えてのサービスかもしれない。しかし日本人から見ると、どこか他人行儀で、どこか他人事なのだ。実はこの映画のクールさとは、そこに起因するように思われる。


「突入せよ!あさま山荘事件」(02年)の時も気になったが、原田監督の歴史に対する思いには、切迫感や切実感や実態感がなく、傍観的なのだ。そうなるのは、外国人の視点で日本史を見ているからだと思わざるを得ない。