「張込み」によって、人生を変えられた(左から)野村芳太郎、橋本忍、山田洋次。

「張込み」の〝その後〟も書いておこう。「張込み」は、一時代を作ったエポックな作品であった。同時に、係わった人間の人生を変えていく影響の大きい作品でもあった。まず、監督の野村芳太郎は、この作品を撮ったことによって、自己の天分をミステリー映画に見出すようになる。



松竹は、「顔」「張込み」で清張映画ブームの先陣を切った。この掘り当てた金脈を持続させようと、大庭秀雄に「眼の壁」(58年)を、再び野村に「ゼロの焦点」(61年)を監督させる。後者の脚本を書いた橋本忍の下には、山田洋次が付いた。映画は、新婚の妻(久我美子)が行方不明になった夫(南原宏治)を金沢に追うというストーリー。まさに女性が主人公となったミステリー映画の極地といえる作品だ。


「ゼロの焦点」は、広末涼子が主演したリメーク版(09年)もあるが、ラストをやたら変更して、滅茶苦茶にしてしまった。それに比べれば、野村版は原作をすっきりとまとめようとしている点は好感がもてる。


この映画は、犯行の動機が戦争にあり、現代に置き換えられないために、時代劇にせざるをえない。その意味では、まだ戦争の時代に近かった野村版の方が有利であり、ロケ風景がリアルで生きている。川又昂のカメラがとらえた能登半島の寒々とした風景を見るだけでも価値がある。


川又は、小津組で有名な厚田雄春カメラマンに付いていた。「眼の壁」でB班を担当し、木曽路の風景をさかんに撮って、その才能を認められて、一本立ちした。野村作品では、「どんと行こうぜ」(59年)から一貫して撮影監督を担当し、〝野村監督の女房役〟と言われることになる。


さて、「ゼロの焦点」の後、橋本と山田は「砂の器」を脚色した。しかしハンセン氏病の問題や、ロケが全国に渡る製作費の問題で、松竹は難色を示す。特に社長の城戸四郎は猛反対した。幻のシナリオは、ずっと眠っていたのである。


しかし、橋本と野村の執念によって、原作が発表されてから14年目の1974年に、ようやく映画化できた。映画は大ヒット。


野村は、橋本シナリオによる「影の車」(70年)も演出している。会社員(加藤剛)は、近くに住む女性(岩下志麻)を愛するようになる。ところが、彼女には6歳の子供がいて、自分を殺すのではないかという恐怖に取り付かれる。


スケールは小さいが、日常的な描写から、心理サスペンスの世界に入っていく様が怖い。特に、回想シーンで使われたカラーの〝多層分解〟方式は、ザラザラした記憶の粗さを感じさせて秀逸だった。


結局、野村は橋本と組んで、清張映画の名作を4本世に送り出す。その後に来るのが、問題作「鬼畜」(78年)だった。