樺太島民慰霊碑 氷雪の門
樺太に渡った日本人は、厳しい環境下で必死に生活を築いてきた。
しかしソ連の卑劣な侵略によりその全てを奪われてしまった。
このモニュメントは、帰らぬ樺太への望郷の念と、この海の向こうで無念にも命を失った人々の霊を慰めるために建立された。
終戦から80年。
今日も氷雪の門は訴えている。
真実をみつめ、永遠にいくさなき世界平和の確率を…
九人の乙女の碑
終戦間際に突如として侵略を始めたソ連軍の攻撃。
玉音放送の5日後には樺太南部に位置する真岡の町にも戦火が広がり、当時真岡郵便局に勤務し通信業務を死守しようとした女性電話交換手9名が集団自決により亡くなった。
この碑はその女性たちの慰霊のために建立された。
教學之碑
1939年、樺太の教育振興のために豊原市に樺太師範学校が開校した。
当時としては画期的な男女共学であったのだそう。
この碑は、その卒業生たちによってかつての母校の記憶を残すために建立された。
南極観測樺太犬訓練記念碑
1956年、日本が初めて南極観測に参加した際、ともに連れて行かれた犬が樺太犬である。
南極行きの前、稚内では樺太犬が集められ犬ぞりの訓練が行われた。
測量の碑
樺太犬供養塔
望郷の樺太の碑
一方的な領土分割によりロシア領となった南樺太には、戦後多くの慰霊碑が建立された。
しかし日本領時代を知る人々の高齢化により渡航や維持管理が難しくなったため、樺太各地に建立された慰霊碑の存在を後世に残すために、この碑が建立された。
昭和天皇行幸啓記念碑
1968年、稚内に行幸された昭和天皇皇后両陛下は、九人の乙女の話を聞いて目頭に涙を浮かべたのだそう。
この碑にはその際詠まれた御歌が刻まれている。
稚内公園から稚内港を望む。
稚内公園から市街へ下る。
稚内駅前へ来ると普通に野生の鹿がいて奈良じゃんとなった。























