旭川駅。






旭川→名寄 3321D快速なよろ1号/H100形

宗谷本線に乗りさらに北上していく。

10分くらい前に車内に乗り込んだがすでに満席で立ち客もいるほど。

てっきりガラガラだと思ってたのでびっくりした。

それでも札幌からの特急から乗り継ぐ客は少なかった。






塩狩峠を越えると石狩国と天塩国に入る。

かつて列車分離事故が発生した峠で、小説“塩狩峠”の舞台となった。








塩狩峠を抜けると鉄道防雪林に覆われた区間をひたすら走る。

とくに剣淵-士別間の防雪林は土木学会選奨土木遺産に選定されている。






名寄駅。










宗谷本線の踏切。






名寄駅の近く、名寄本線廃線跡上にはキマロキ編成が保存されている。
















キマロキ編成は名寄本線の廃線跡上に、まるで現役当時かの様に保存されている。
屋外保存でありながら状態は良好で、愛されて守られているんだなとなった。








キマロキ編成を見た後は、名寄の街を歩いた。






名寄駅はかつては宗谷本線以外にも深名線と名寄本線が乗り入れていた。

交通の結節点であり機関区も置かれ繁栄していたが、現在では広大な構内は持て余してるようだった。




名寄駅に戻り旅を続ける。










駅に戻ったら、はまなす編成の特急サロベツがいた。

サロベツのヘッドマークはキハ183系がキハ261系0番台に置き換えられてからは事実上消滅していたので、こういった形でかつてのヘッドマークを見られたのは感動だった。






名寄→幌延 4327D・4331D/キハ54

名寄を14時59分に発車し終点稚内には19時53分に到着する。乗り通せば約5時間の長旅になる。










キハ54の車内。








智恵文駅。




真夏なのに車内は非冷房で、客はみんな窓を開けていた。

だけど車内を抜ける風は涼しく、夏であることを忘れてしまうほどだった。










咲来駅。




音威子府で約1時間の小休止。

外の空気を吸いに駅を出た。










音威子府村。

人口は600人強しかいない。

松浦武四郎が北海道の由来である“北加伊道”の名を命名した地はこの村内にある。






天塩川。




音威子府駅南の跨線橋から宗谷本線を眺める。

徐々に最果てが近づいているのを感じた。






駅に戻る。

さらに北へ進んでいく。










筬島駅。




列車はディーゼルの音を響かせながら自然の中を走り抜ける。










天塩中川駅




天塩中川を過ぎると、しばらく旅をともにした低い山並みは遠くへ行き、天塩川沿いの肥沃な平地に広がる酪農地帯を走る。

遠くに沈みゆく太陽を望み、ディーゼルのを感じる風を顔いっぱいに浴び、雄大な北の大地の景色を眺める。

旅の終わりも近い。








糠南駅

朝礼台のような寂しい駅だった。






天塩川の雄大な流れに沿って列車は走る。








雄信内駅。




日没が近づく車窓。

利尻富士のシルエットが遠くに見えた。




南幌延駅。






名寄から3時間半、今晩の宿がある幌延で下車。稚内は宿があまりにも高すぎるので手前の幌延で宿泊することにした。










駅前の民宿に投宿した。




宿で荷物を置いて早速買い出しに出かけた。

(居酒屋を除けば)町にはセイコーマートしか店がなかったので晩飯はコンビニ飯。




久しぶりの温かい飯。

ぱくぱく食べてうまうまになった。




夜の幌延。








宿では久しぶりにテレビをつけた。

北海道はテレビのチャンネル数が多いので毎度びっくりする。

何だコレミステリーの知床取材を見ながらダラダラ過ごした。

寝る前に風呂へ行き、肩まで湯船に浸かったら、体がほかほかになりすぎて全然寝付けなくなった。




朝の幌延駅。

元は台風予報の天気だったが、旅の道中段々と遅くなった台風は気付けば消滅し、運が味方して快晴の清々しい朝になった。










幌延→稚内 4321D/キハ54

音威子府発、始発の稚内行き。

さすがにガラガラだろと思ったら、鉄オタが意外と乗っててびっくりした。

地元の通勤通学客とともに乗り込む。

終点稚内まで約1時間。

これが今旅の北へ向かう最後の列車である。




下沼駅。




サロベツの大平原の中を列車は走る。








抜海駅。




抜海-南稚内間の車窓。

宗谷本線のハイライトといえる区間。大海原を望みながらゆっくりと走る。

この景色が見えると稚内はあと少し。




稚内駅

日本最北端の駅として知られる宗谷本線の終着駅。

南の最果て枕崎から約3000km。

日本各地を網の目のように辿り北へ向かい続けたレールはこの駅でついに終着を迎える。