10時過ぎの大阪駅。

朝の騒がしい光景も、流石にこの時間になると落ち着いてくる。



11番ホームは主に北陸方面へ行く優等列車が発着する。



北陸方面への案内。

北陸新幹線が金沢まで開業した今、特急で行くことのできる北陸方面の最も遠い場所は和倉温泉である。

しかし新幹線が敦賀まで開業すれば、すべてのサンダーバード号が途中敦賀までの運行となる。

敦賀以北の特急列車は金沢ー七尾線間特急を除きすべて廃止される。

北陸特急最期の時である今、最長距離を走るサンダーバード号を最後にもう一度乗っておこうと思い、旅に出ることにしたのだ。




今回は、その和倉温泉行であるサンダーバード17号を、始発駅である大阪から乗り通す。


しかし、今日は湖西線が強風により運休らしい。

この場合普通サンダーバード号は運休とはならず、山科から湖西線に入らず東海道本線そのまま東進し、米原を経由し迂回することで北陸本線へと向かう。

今回も例に漏れず米原経由となった。

そのため、和倉温泉へは30分程度遅延が発生する旨が放送で案内されている。



発車まで10分ほど前になった。

接近放送が聞こえてきたと思えばすぐに、乗車する列車が入線してきた。




列車の顔を撮影してから指定した座席のある車両の方へ向かうと、既に列車を待つ列は消えていた。



他の客に遅れをとりつつ、私も列車に乗り込んだ。

大阪から和倉温泉までの所要時間は4時間弱にも及ぶ。


10時42分。

定刻で大阪を発車。

北陸ロマンの車内チャイムとともに、長い列車旅が始まった。


停車駅は、新大阪、京都、敦賀、福井、芦原温泉、加賀温泉、金沢、羽咋、七尾、和倉温泉。

前後の便は停車する武生、鯖江、小松の各駅は通過するが、芦原温泉、加賀温泉には停車する。

ビジネスより観光を重視した停車駅となっていることがわかる。


この日は平日であるからか、車内はスーツ姿の客ばかり。

サンダーバード号といえば沿線に観光地や温泉が多く観光地へ行く特急のイメージが強いが、北陸は工場も多くその分ビジネス需要も大きい。

その高い需要から、9両という長編成でほぼ毎時2本の高頻度運行されている。


発車してすぐ、もう新大阪に着いた。

新大阪を出発してからが、特急の本領発揮。

新快速にはない静粛性は快適で、複々線内側の電車線を走る普通電車をごぼう抜きで疾走する車窓は、見ていて楽しい。

そうしていると、あっという間に京都に到着した。


京都からは観光客もたくさん乗ってきた。

ぱっと見乗車率は8割ほど。

平日昼間でありながらかなりの混雑で、この列車の需要の高さを実感した。

たまたま自席の隣は埋まらなかったが、周りを見渡すとどこも相席になっていた。

隣がいないのはかなり楽。


京都を出発するとすぐ長いトンネルに入る。

トンネルを出ると、山科の街が一望できる。

本来サンダーバード号は山科から湖西線に入り、琵琶湖西岸をその高規格の線路を活かした高速走行でもって最短経路で北陸を目指す。

しかし今日は湖西線が運休とのこと。

大阪駅ですでに案内があったように、東海道本線米原経由で北陸へ行く。

本来進む線路とは違う線路を今回は走る。


古くから歌に詠まれる逢坂山をくぐり抜けると、滋賀の県都大津。

普段であればこの駅は通過しない。

新鮮な車窓が流れる。


京都を出ても複々線は終わらない。

また迂回時のダイヤはあらかじめ設定されているという事を聞いたことがある。

そのためか臨時で運行されている割にはあまり速度は落ちない。



瀬田川を渡る。

急がば回れの言葉の語源である瀬田の唐橋はこの近くにある。



高く聳えたる高層マンションが見えてくるとまもなく草津である。

ここで複々線区間は終わり、複線になる。

そのため今までの高速運転はここで終わり、前が詰まり始めた。

走行位置を見てみると、前には新快速がいる。

これを抜かす事はないだろうから、特急らしい疾走感はしばらく感じられなさそう。



野洲川をノロノロと渡る。

車窓右側に聳える山は三上山。

もちろん普段見ることなどできない。



彦根では近江鉄道の車庫が見える。

サンダーバード号から見る西武鉄道赤電塗装の電車は違和感しかない。


米原に運転停車。

客の乗り降りはできないので、ドアは開かない。

ちょうどトイレに行きたくなったので、ついでにデッキで駅の様子を見てみることにした。




サンダーバード号から見る米原の駅名標。


さながらかつての雷鳥のようだ。

運行開始当初の雷鳥は米原で東海道新幹線と接続していた。

しかし湖西線の開通以降は経由しなくなった。



時刻表を見るに先発のしらさぎの発車を待っていたのだろう。

しらさぎ発車を見送ってからこちらも発車。


ここで313系との並走が見れた。


米原からは北陸本線に入る。



車窓右手には伊吹山。

前を詰まらす列車はいなくなり、北琵琶湖の田園地帯を疾走していく。


近江塩津で湖西線と合流。

本来のルートに再会した。



座席はすでに北陸新幹線開業を備えた案内が準備されていた。

新幹線が開業すれば、関西中京と北陸の相互間を移動する際必ず乗り換えを強いられる事になる。

最長距離を走るこの和倉温泉行サンダーバード号に至っては、敦賀、金沢と2度の乗り換えが必要となる。

新幹線の開業はたいへん喜ばしいことではあるが、現状のサンダーバード号があまりにも速くて便利なので、今回の件はどうしてもネガティブなイメージが強くなってしまう。

大阪開業まで四半世紀もの間、かつての青森駅や越後湯沢駅のような光景がみられることになる。

趣味的にはそれはそれで興味深いが、一利用者として考えるとやはりそれは不便であるだろう。

ただ今は大阪までの早期開業を願うしかない。

そもそも名古屋からだと、今回の敦賀開業が完成系となる訳ではあるが。


しばらくして敦賀到着の案内が始まった。

大阪からここまで約1時間50分かかった。

大阪と敦賀は近いようで意外に遠い。



車窓右手には新幹線の車庫が見える。

新幹線W7系が走っているのも見えた。




巨大な構造物が見えてきた。

これが敦賀駅である。

新幹線開業後は、特急列車は新幹線の直下に入り、上下で乗り換えができるようになる。


敦賀は福井県であるが、歴史的経緯や文化などから近畿地方としての雰囲気が強い。

市内にある氣比神宮がかつて北陸道総鎮守と呼ばれ朝廷から重視されていたことや、敦賀を含む嶺南地方から福井平野へ抜ける鉄道トンネルが「北陸」トンネルと名付けられていることからも、敦賀という地が、北陸地方というよりは北陸地方の入口に位置する地域であることがわかる。


敦賀は古くから交通の要衝として栄えてきた街であるが、北陸本線開業以降は北陸への単なる通過地点になってしまった。

しかし新幹線が開業すれば、またかつてのような交通の要衝として重要な街になっていくだろう。



敦賀を30分遅れで出発。

写真のあたりで電化方式が直流から交流に切り替わる。



交直切り替え区間を過ぎると長いトンネルに入る。

これが北陸トンネルである。

古くから難所とされてきた杉津越えを、長大トンネルで直行する。

かつて途中にあった数ヶ所の駅はトンネル開通による新線切り替えとともに活躍を終えた。

どれほどこのトンネルが重要であるかは、「北陸」を冠するその名から伝わるだろう。

完成は1962年6月10日。

旧線の廃線跡は、道路に転用されており、廃線跡の雰囲気を満喫することができる。


長いトンネルを抜けるとついに北陸地方である。




眼鏡の街鯖江を通過。

眼鏡の看板は北陸本線の名物車窓。


この列車は敦賀を出ると福井まで止まらない。

武生、鯖江の両駅は多くの特急が停車するが、速達タイプのこの列車は通過する。


ビジネス客、観光客、帰省客に地元客。

いろんな客層が混在するのがいかにも特急らしい車内。



新幹線の線路が見え始めると、福井も近い。




福井で多くの乗客が下車した。

車内は空席が目立つようになった。



琵琶湖付近では快晴だった天気も福井を過ぎてからは雨が降り始めた。

雨の中、九頭竜川を渡る。



福井平野の広大な田園地帯を走る。

すぐに雨は止んだ。


芦原温泉に停車。

観光客が数人下車した。



牛ノ谷峠を越えるとここはもう加賀国。

すぐに石川県最初の停車駅、加賀温泉に着いた。



加賀温泉を出発して、金沢まで北陸本線のラストスパートを駆け抜ける。

恐ろしいほどの猛スピードで小松を通過し、手取川を渡ったと思ったら、あっという間に北陸ロマンのチャイムが流れた。

もう金沢だ。


道中、普通列車を何度も抜き去り、何度も特急列車とすれ違った。

特急街道らしいこの風景は、新幹線の開業とともに過去のものとなる。



ほとんどの乗客が下車した。

加えて数人が乗車してきた。

それでも車内はガラガラだ。


金沢では後ろ3両が切り離された。

ここから七尾線内は6両編成で走る。


30分遅れで金沢を出発。

かつての北陸本線を東進する。


10分ほどして津幡を通過。

2度目の交直セクションを通過し、七尾線に入る。



軽快なジョイント音。

この車両にしては、本領発揮とは言えないスピードで走る。

すっかりローカル線の雰囲気だ。



宝達丘陵を右手に見ながら走る。



UFOの街羽咋に到着。


羽咋を過ぎたあたりから、家の屋根にはブルーシートが目立つ。

ここからは先の地震の影響が色濃く残る地域に入っていく。

自分の意思でここまで来た訳だが、やはりその景色には心が痛む。


今年は正月から能登半島のあまりの被害に、ニュースを見て絶望した。

またこれだと鉄道の復旧はしばらくは難しいだろうとも思っていた。

しかしながら、一ヶ月半で七尾線やのと鉄道の一部区間が復旧するにまで至った。

決して我々のような趣味で鉄道になるような人間のために復旧してくれた訳ではないが、鉄路の復旧に尽力された方々には頭が上がらない思いでいっぱいになった。

文章じゃこの気持ちは伝わらないだろうが、実際に行けば誰しもがそう思うだろう。


七尾まで最後の疾走を見せてくれる。

旅の終わりが見えてきた。



七尾に到着。

ここでほとんどが下車。

車内はさらに寂しさが増した。


七尾を出てすぐに車内チャイムが流れる。

北陸ロマンはエンディングソング。

大阪から約4時間20分も、ついに終わる。

とにかく長い旅だった。

降りる支度をするために立ち上がる。

あたりを見渡すと、車内は私ともう一人だけ。

少し伸びをして座席をあとにした。






和倉温泉に到着。

温泉客らしい人はいない。

みな私と同じような鉄道ファンだろう。

彼らは駅前の商店に続々と入っていく。

それに続いて私も店にお邪魔する。

ここで能登のお土産を購入。

観光客はおらず駅前は寂しい。

鉄道が復旧したというだけで街が復旧したという状況ではない。

またかつての活気が戻ってくる事を、ただ願うことしかできなかった。


遅延したまま和倉温泉まで来たので、折り返しの特急まではあまり時間がない。

買った土産を鞄に詰めて、早速もとの列車に乗り込んだ。





5万人都市七尾。

駅前は割と栄えている。

しかし地震の爪痕が大きく残っていた。

災害は決して過去のことではない。

今も続いているんだと感じた。


しばらく散策したのち、次の普通列車に乗り込むため駅に戻った。



ハナミズキの接近メロディとともに、和倉温泉行の特急列車がやってきた。

あまりの満身創痍な姿には思わず唖然とした。

新幹線が開業すれば引退するんだろう。

最期の活躍、見た目は少し痛々しいが、どんな姿でも走り続けるその様子は勇ましい。



街には地震の影響がまだ色濃く残っているが、時刻表の時間通りに駅へ戻れば、列車は定刻通り発車時刻を待っていた。


夕方の鈍行列車。

クロスシートにひたすら揺られる。

地元の高校生の会話が聞こえてくる。

最寄り駅から鉄路を辿っていくと、その先には知らない町の何気ない日常があるんだ。

そんな事を思った。

特急列車に乗っているとわからない、鈍行だからこそ味わえる光景。

まさに旅情だと思う。


17時24分。

金沢到着。

陽は少しずつ隠れ始めている。

また土産を買って次の列車に乗り換える。

そう言えばまだ旅は折り返し地点だったな。

黄昏の金沢をあとにして、帰路についた。