難波宮跡

大化改新により飛鳥から難波宮に遷都され、この場所には我が国初の本格的な宮殿が建てられた。しかしすぐに都は飛鳥に戻り、その後天武天皇の時代に焼失した。奈良時代には平城京の副都として後期難波宮を同じ場所に建設。桓武天皇の長岡京遷都で長岡宮の建設資材として活用され解体された。