石川さゆりは、1958年に熊本県飽田村で生まれ、日本のアイドル、演歌歌手、女優として幅広く活躍している。デビュー曲「かくれんぼ」でアイドル歌手としての第一歩を踏み出し、その後「津軽海峡・冬景色」で大ブレイク。この曲は第19回日本レコード大賞で歌唱賞を獲得し、紅白歌合戦への初出場も果たしました。

略歴には、島倉千代子の歌謡ショーに感動して歌手への夢を抱くきっかけや、友人の代わりに参加した「ちびっ子歌謡大会」での合格が綴られています。芸名「さゆり」は、岡田太郎プロデューサーによって「いつまでも美しく清潔であってほしい」という願いを込めて名付けられました。

デビュー当初は「花の中三トリオ」の影に隠れ、ヒット曲に恵まれない時期もありましたが、劣等感や挫折を力に変え、二葉百合子の門を叩いて歌の基礎から学び直しました。その結果、1977年に「津軽海峡・冬景色」で一躍スターダムに躍り出ました。

1980年代以降も「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」などのヒット曲を連発し、女性演歌歌手としての地位を確立。彼女の歌唱力と表現力は、数々の音楽賞で高く評価されました。また、女優としても「大空港」「功名が辻」「麒麟がくる」などのドラマに出演し、その演技力も称賛されています。

私生活では、1981年に元マネージャーの馬場憲治と結婚し、1984年には長女を出産。しかし、離婚を経て、石川は1997年に個人事務所「さゆり音楽舎」を設立し、独立しました。

石川は音楽活動だけでなく、実業家としても一線で活動。1980年代末にはカラオケボックス「カミパレス」の経営にも携わりましたが、後に経営からは退き、2003年には法的な争いが起こるなど波乱の人生を歩んでいます。

2015年には日本作曲家協会奨励賞、2018年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、2019年には紫綬褒章を授与されました。私生活では島倉千代子の先輩として尊敬され、彼女の訃報に際して感動的な弔辞を述べました。

石川さゆりは、感動と情熱の歌手として、多くの人々に愛され続けています。