「恐らくドストエフスキーが今この時代にいたら、この社会の不寛容さに真っ先に目を向けるでしょう。」
「一人ひとりが自分の正義を振りかざして他者を追い詰め、弱肉強食的な世界が肯定されるようになってきている」
ドストエフスキーは『罪と罰』のなかで、みずからの信念は絶対に正しいと思い込み殺人を犯す青年、ラスコーリニコフを描いています。そして、そうした「おごり」こそが、人間が陥りがちな最も危険な“病”だというのです。おごりを捨て、みずからの間違い(=「罪」)を認めること。それこそがドストエフスキー作品に通底する重要なテーマだと、亀山さんはいいます。
~以上、リンク先より抜粋~
「罪と罰」ついに読み終えました!
いやあ、ほんとにおもしろかったです。
亀山氏のおっしゃる通り、ぐぐぐいっと引き込まれました。
ものすごいスピード感
映画を観ているような臨場感が伝わります。
登場人物が多く、セリフがめちゃめちゃ長くて、それだけで疲れそうなのにそうでもない不思議
一人一人が超個性的で、人間の表と裏を同時に見ているような気になります。
誰もが持つ醜悪な面と、本人も自覚できないほどの深い愛情。
悪人のようで悪人じゃない、善人のようで善人じゃない、憎まれるだけの人物は登場せず、みんなそれぞれ苦悩を抱えて生きていることに、心底寄り添った作品でした。
作者ドストエフスキー自信が抱えている苦悩を登場人物それぞれに語らせるからこそ、あんなに長台詞になってしまうのでしょう。それでも言い足りないくらいに。
たくさんの人格がつらつら語る「言い分」は、立場によって見え方が変わることを知り尽くし、心を引き裂かれた経験がないと、想像もつかないでしょう。
作者が社会に絶望し、どん底から這い上がりながら生命をこよなく愛した軌跡を辿ることで、今の社会を見直す道しるべになるかもしれません。
くどくどしいセリフが気になる人にはお薦めしません。
でも思想というものは凶器にも、狂気にもなると教えてくれます。
作中に出てくる「コミューン」という組織が現代の新興宗教とダブって見えました。
キリスト教の歴史も複雑で、ロシア正教とか分離派とか、詳しく知るきっかけにもなりました。
この作品の背景となった時代にも、グローバリズムに抵抗する人々が差別され、それでも誇りを持ち続けて生きのびていた様子がうかがえます。
なにを正義として、いかに己の信条を曲げずに生きられるか。
少しも古臭くならずに、むしろ今こそ読みたい「どすとえふ好きい」ですね。