少子化、高齢化が問題視されると、やれ結婚しろ、子供を作れって若い人を責め立てて、生産性のない「オトナ」達は言い逃れしようとするけれど、自分に置き替えて考えてみたら実際そんな気になれるかっつうの。
今のセージカって呼ばれてる人たちが考えることって短絡的すぎっていうか、なんも考えてないっていうか、ゼニカネの問題だけじゃないってことがわかってない。
何人以上こども産んだらいくらやるからどんどん産めやって言われてもねえ・・・。
結婚したくても相手が見つからないとか、それ以前に交際自体が煩わしいとか、人それぞれ、そりゃ~いろいろあるでしょ。
個人の自由が尊重される時代になって、誰がすき好んで面倒なこと始める?
仮に結婚したとして、おとうさん、おかあさん、こども数人、これで家庭の出来上がり?
本当は、そんなに簡単じゃない。
おとうさんにも、おかあさんにも、両親がいる。
こどもを育む家庭っていう場所は、あたたかく円満であって欲しいものだけど、「家族になろうよ」って歌みたいに、ホンワカ、ホンワカしたものとは限らない。
とてもデリケートな心の問題。
世の中やさしい人ばっかりじゃないし、考え方も様々だから、結婚してもすぐ離婚とか、離婚できなくて苦しめば、子供も苦しむ。
最近、興味深く読ませてもらっているのは、一人暮らしで自給自足を目指している人のブログ。
自然に溶け込むようにして自由を満喫する暮らし。
すごく理想的な暮らしだけど、甲斐性なしの私には真似できないなあと思う。
夫の両親との同居を選んだのも子育てが念頭にあったからで、夫婦共働きでもやってこれたのは、じいやんとばあやんの存在のおかげ。
息子たち2人は立派に育ったものの、まったく女っけなし。
でも急かすようなことは言わない。
先日、じいやんが終の棲家となるであろう施設に移り、問題がひとつ落ち着いた。
転院する時、数か月ぶりに会え、はしゃぐ私を見て、じいやんは照れたように顔を赤らめ、可愛い顔でニッコリしてくれたのが忘れられない。
どんな人でも一緒に生活するということは並大抵じゃない。
ちょっとしたことで「クッソジジーーーーー」って思うこともしばしばだった。
でも例の注射だけは撃たせなかった。
私が家族を守りたいと思ったから。
前の施設で一度、「感染したからラゲブリオを使います」という電話がかかってきた。
高齢者だから念のためにという。高額なので家族の了解が必要とのことだった。
私はあやしいと思い調べたのだけど、夫がすかさずハンコを押してきてしまった。
さいわい順調に回復してくれ、胸を撫でおろした。
家族というのは不思議なもので、目の前に居ると腹が立つけど、離れていると
命を守りたいと自然に思える。
マスクや注射で感染は防げないと信じる私。
医療従事者や介護施設では推奨するのがあたりまえ。
転院の契約時にも撃たせたくない理由を訊かれたけれど言葉が出なかった。
無理にとは言われなかったので助かった。
だから、あの笑顔が答えだと思いたい。
年寄りの命を預けたり、預かったり、親の介護の問題は子供の将来を左右する。
親をほったらかしにしてでも仕事をしなければ生活に困る。
今回、数か月も会えない間、じいやんがとても大切にしてもらっていたことが実感できた。
転院の件も素直に受け入れてくれて助かった。
じいやんにとって、施設の方が家よりも快適なのだと思いたい。
本当にありがたいと思う。
介護職の方々のおかげで今の社会が成立していると言っても過言ではない。