どんなに貧しくても
誰かのせいにするわけでもなく
ただ自分の人生をつつましやかにおだやかに
自然と共に静かに暮らしていた
そんな罪も穢れもないひとびとを
とつぜん地獄に投げ込んだあのできごとを
何十年たとうと決して忘れちゃいけない
当事者たちは抗議するすべもなく
もがき苦しみながら亡くなってしまった・・・。
今なお続く被害の犠牲者たちは、カネの力で黙らせられるか
あきらめて、煮え湯を飲まされ、思いをこらえ続けるか・・・。
そんなこと、自分に関係ないって言えますか。
そのあげくの果てが今の惨状なんでしょう。
令和3年(2021年)の死亡数は
戦後最多!
しかも原因は、またしてもうやむやにされている。
被害に遭ったほとんどは、主食の米も買えず、獲った魚で腹を満たすしかないような貧しい暮らしの漁民たち。垂れ流された工場排水のせいで次々毒に侵された。
昔の話と言ってはいられない。
それは厚顔無恥な政府や大企業の
今でも変わらぬ体質だから。
石牟礼道子という人は、自称「ただの主婦」でありながら
水俣病患者の無念さを、みごとなまでに記録した。
地域社会において水俣病はタブーとされた。
市民たちの形なき迫害と無視のなかで、死につつある
患者たちの吐く言葉。
「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」
「タダ飯、タダ医者、タダベッド、安気じゃねえ、あんたたちは。今どきの娑婆では天下さまじゃと、面とむかっていう人のおるよ。」
「水俣病が羨ましかかいなぁあんたたちは。今すぐ替わってよ。すぐならるるよ、会社の廃液百トンあるちゅうよ、茶わんで呑みやんすぐならるるよ。とってきてやろか、替わってよ、すぐ。うちはそげんいうよ。なれなれみんな水俣病に。」