親戚のおばあさんが老衰で亡くなり、今日は納棺に立ちあった。
親類縁者が見守る中、死者の肌を露わにすることなく布の下、手探りで、着物を着替えさせる納棺師のみごとな技![]()
思わず見入ってしまった。
死者に思いの深い者達の視線を浴びながら、無駄のない動きで静かに厳かに、しかも愛情深い手つきで・・・。
ああ、こんなに大事に扱ってもらえて、この人は幸せな死を迎えられてよかった。
こんなふうに人の尊厳を守ろうとする儀式は善いものだと感じた。
一方、どこの誰ともわからぬ死体はモノのようにかたづけたり、解剖のサンプルにしたり、おぞましいことが行われている。
人を人とも思わぬ行為。
命を命とも思わない拝金主義社会。
今の世の中、葬儀もどんどん簡略化され、人の死もどんどん軽んじられているような気がする。
せめて善い儀式を残して、心を取り戻す機会にしてほしい。
うちのじいやんは昭和5年生まれで、ばあやんが昭和11年。
明治や大正生まれの人がイキでカッコイイのはわかる気がする。
私の祖母はたしか明治生まれの人だったはず。
じいやんには少し明治時代の気質が残っているのかもしれない。
頑固で手に負えない時もあるけど、筋を通せばあっさりした気質。
ばあやんはネチネチと自分の思いに執着するわりに筋が通らない。
自分軸がないくせに自己中を絵に描いたような性格。
他人の目に映る自分像は、なかなか想像できないけれど、死にざまは生きざま。
いつかは死ぬ自分を思いながら、執着からの自由を目指して生きていこう。