鏡の中の私 | I Love キューバ!!

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時々キューバについて熱く語りたいと思います。

「あなたにおすすめのブログ」ってところに、桜井誠って文字が見えて「え?」

 

と気になり、興味本位で見に行ってみたら稲田朋美を擁護する記事でした。

 

彼女は「極右」じゃないと。そんなことデタラメだと。

 

私が三宅洋平君や山本太郎さんを信じたいのと同じように、この人は自分の

 

信じたいことを信じ、懸命に発信しているのだなあと感じ、自分との共通点を

 

見てしまいました。

 

まるでガラス板一枚隔てただけの異次元の世界に居る自分を見ているような

 

不思議な感覚です。

 

そこを除けばマスコミに対する怒りや、この世を憂う気持ちや、日本を案じる

 

人間的な感じ方は全く同じなのです。

 

善悪、左右、正義と正義・・・。

 

前後不覚に陥るほどに、善・誤を深く追求すれば、敵対するほど愚かな事は

 

ないでしょう。

 

違う意見だからといって、相手の存在を否定してしまうのが一番してはならぬ

 

ことだと思います。

 

あんなやつSHINEばいい!!

 

とか、ついつい思ってしまうのが人間ですが、ここを乗り越えなければ人類の

 

進歩は到底望めませんね。

 

 

 

他人に利用されたくはないけど、他人を利用したい。

 

強い方になびいて媚びて、長いものには巻かれよう。

 

損してたまるか勝ち残れ!!

 

あさましい根性あからさまに、恥を恥とも知らぬ男や女。

 

敵はどっちだ!?あっちか、こっち。

 

敵も味方も見極められず、信頼関係どぶに捨て、争うことに明け暮れて

 

心休まるひまもなく、戦々恐々、信じることさえ忘れ去る。

 

人と人が信じ合えず、疑心暗鬼に翻弄されて、闇雲に非難したり罵声を

 

浴びせかけたり、地獄のシナリオ演じてしまう。

 

こんな人類、地球の害にしかならん!!

 

人間なんか消えて無くなれ!!

 

こんなこと思う私の方が、ある意味、イナダトモミよりヒドイでしょ?

 

 

 

なにが正解か、なにが間違っているのか、どうしてそう思うのか、どうする

 

べきなのか、いちいち言葉で説明しようとすれば誤解が生じ、感情に火が

 

つけば血が流れる。

 

 

 

昔の母ちゃん達は文句も言えず、男を立ててやる懐の深い深い深い

 

海のような存在だった。

 

私には真似できないし、しようとも思わない。

 

我慢は健康の大敵だもんね。

 

それでもこの24年というもの、耐えて忍んで生きてきた。

 

おかげですっかり悟りの境地。

 

 

 

女は毎日、哲学しないと生きてけないのよ。

 

仕事から帰って食事の支度している後ろで一日じゅうテレビ見て

 

ごろごろしている人達が、今や遅しと待っている。

 

急いで手抜きすりゃ「なにもない」と文句を言われ、奮発して買い

 

込んで来てもニコリともせず無言の食卓。

 

なんのために毎日毎日こんなこと続けてんの!?

 

いったい、いつまで続けなあかんの!?

 

私って、この家のなんなの!?

 

家族全員の誕生日、私はみんな覚えてて、夕飯どきに合わせて

 

ケーキを買っておくか、寿司にするか、彼らの好きなものは必ず

 

出そうと心がけている。

 

でも、私の誕生日は誰も知らない。

 

 

 

「不満」に意識を任せてしまったら、みじめになるのは自分自身。

 

理不尽だけど笑っていれば、誰かの幸せがいつしか自分の幸せ。

 

それは、ぐるぐる周るもの。

 

不満を抱えたままの顔でいたら不満が循環してしまう。

 

だから、自分をなだめるための哲学なのよ。

 

 

 

特攻隊に志願した武勇伝を、誇らしく語るじいやんとも、仲良く

 

暮らせるようになったのは、思想なんかにこだわらず、人として

 

感謝できる気持ちを、互いに見い出せたからだと思います

 

簡単に感謝、感謝というけれど、実感できるようになるまでは、

 

つらく長い道のりがあるものです。

 

 

 

昨日から次男が帰って来ていますが、以前よりもカドがとれた気がします。

 

自力で生きる楽しさを知って初めて「親、感謝」って気にもなれるのでしょう。

 

感謝しなさいと言われて出来るもんじゃありません。

 

心にゆとりが出来なければ・・・。

 

 

 

オスプレイがいつ堕ちてくるとも知れない環境で、誰に感謝ができますか。

 

住みよい社会にするためには、右だ左だ、敵だ味方だ、言うてる場合じゃ

 

ないはずです。