夫の父も特攻に志願したのですが出撃直前に終戦となり命拾いしました。昭和5年生まれの午年です。今年は年男の96歳。血気盛んな頃は何かと面倒見が良く、孫二人の面倒をみつつ寺や神社の世話もしていました。
今では介護施設のベッドで静かに横たわり、面会に行くといつもウトウトしています。
いつのことだったか戦争について私と大喧嘩したことがあります。戦地には行っていないのか、勇ましいことを言っていました。もし戦争になったら孫を喜んで送り出すと。
そういえば「男たちのヤマト」という映画を観て怒りまくっていたことがあります。舅が友だちと映画を見に行くなんて私が嫁いできてから初めてのことでした。観に行く前は楽しみにしていたのに途中で帰って来てしまいました。隣の席で鑑賞していた若い娘さんが泣きじゃくっていたようで、「あんな場面を若いもんに見せるな!!」と怒りまくっていました。
艦上で戦死した遺体を海に投げ入れるシーンで義父自身も相当ショックを受けたようです。また、せっかく命拾いして帰ってきたのに亡くなった戦友の実家を訪ね歩くと、ひどく罵られる場面にも、かなり胸を痛めたようで、あんなもん観に行くんじゃなかったと後悔していました。
あの映画は戦争の悲劇を描いているので当時の人にとって耐えがたいものだったでしょう。お国のため家族のため長男の身でありながら志願したことは、義父の中で誇りだったのです。
当時の人々は、その時代を真面目に生き抜いただけです。ところが戦争が終わった途端に善悪が逆転して、徴兵されて泣く泣く連れて行かれた人、仕方なく戦争させられた人まで裁かれ憎まれ罵られました。
ある時代を一言では表現できないし、したらダメだと思います。
悲劇もあれば素晴らしい感動も数限りなくあります。
人々の人生を狂わせた戦争さえも、ある人には大切な青春時代の思い出、ある人には忘れ去りたい悪夢、ある人には子孫に伝えるべき貴重な体験とさまざまで、各人の捉え方次第です。
日本人だっていい人ばかりじゃないし、ナニジンだって、好い人もいれば悪い人もいます。
はじめは欧米の植民地にされていたアジアの国々を救済するための戦いだったかもしれません。
インフラ整備に尽力し、教育を施した日本人に感謝するという証言もあります。
貧しさのあまり多くの日本人が外国へ移り住み、移住先の国で日本人も差別に遭いました。
資源を絶たれ追い詰められて、やむを得ずの戦いだったかもしれません。
けれど極限状態になった時、人は豹変し、本人にも制御不可能になってしまい、善悪などかまっていられなくなる、それが戦争です。
私は昭和43年生まれです。戦争を知らない子供たち。
でも昭和20年といえば、今思うとほんのふた昔前のことです。
最期まで志高く散っていった方々の勇ましく美しい話を聴くとつい憧れてしまう私達。
当時の子供達もそうやってカッコイイ兵隊さんになることを夢見させられたのでしょう。
だからこそ、それだけではない悲惨な話を忘れずに伝えていく必要があるのですね。
少年飛行兵さん、いつもありがとうございます。
~ 以下、リブログ先より一部転載 ~
「戦争を知らない人が
勇ましいことを言うのだ」
何度この言葉を聞かされたかわかりません
でもいま、その言葉が
ものすごく私の心にのしかかっています