これまでの世の中は、理性を成長させ、合理性を追求し、理屈で人を説得し理屈で正しいことを追求してきました。家庭では夫婦や親子間での起こる物事も理屈で対応してトラブル等を解決しています。学校や会社の成績や業績は理屈で成り立っています。そのような中で、皆さんは理屈を優先していませんか?自分の正しさを主張し、対立を作っていないでしょうか?
しかし、私たちには意思があります。例えば、認めてもらいたい,理解してもらいたい,ほめてもらいたい,好きになってほしい,信じてほしい,待ってほしい等のさまざまな思いです。
誰もがそう思っているのに、自分が思っているようには認めてくれないし、愛してくれない。つまり、満たされたいという心を抱えています。みなさんはどうでしょうか?
認めて!わかって!ほめて!という気持ちというてのは、タイトルで書いているような「心が欲しい」ということではないでしょうか。
 
皆さんが担当されている患者様、ご家族、又は同じ組織で働く方々や連携先の方々。
「はい、わかりました」と頭で理解して、心の中で「はいはい」と流すのではなく、「受け止めて、伝えていく」。きっと、みんな受け止めて欲しい。これを私たちソーシャルワーカーの間では、受容、共感って言うものだと思います。
特に今はコロナ禍で「ソーシャルディスタンス」と言われ、医療機関や施設等でも面会禁止だとか様々な感染対策がとられています。外部からウイルスを持ち込ませないため、患者様を守るためにといえど、これまでとは大きく異なる環境だと思います。
 
そんな環境の中で大切な「心」まで離れちゃっている状態になっていませんか?
私たちソーシャルワーカーは、このような状況だからこそ、「心が欲しい」との声に応えていける人でありたいですね。このコロナ禍に、私たちソーシャルワーカーが、誰に寄り添い、何を受け止め、どのように伝えて行くのか、試されているのかもしれません。又はこれらを成長させる機会なのかもしれません。
患者、家族等の想いを汲み取る力、想像力を働かせ、心が欲しいと叫んでいる方へソーシャルワーカーとしての心をあげてください。心をあげるとは「愛をあげる」ことです。認める,理解する,ほめる,信じる,待つことだと思います。様々な人の「心が欲しい」という叫びに応えて、それが人と人とを結びつけるきっかけになると思います。揺るがない意思とやり抜く心を大切に。
 
 
 
はったらー