「〇〇 〇〇、電撃結婚!お相手は『普通のサラリーマン』」。これは、先日みかけた某美人女優さんの結婚報道の見出しです。
私は、見た瞬間に違和感・・・「えっ?・・・普通のサラリーマン?」私の違和感は、サラリーマンとこの女優さんが結婚したことではなく、「普通の」という形容詞にです。みなさん、「普通のサラリーマン」ってどういう意味かわかりますか?逆に、「普通でないサラリーマン」ってどんなサラリーマン???きっと、この報道の見出しは、この美人女優さんが一般男性と結婚したことを強調して書きたかったのでしょう。あるいは、一般人でも、芸能人と結婚できるチャンスがあるんだ!と夢を与えたかったのかもしれません・・・。
さて、そこで今日はこの「普通」って言葉について少し考えてみます。
私たちが何気なく使っているこの「普通」っていう言葉、時に人を傷つけているかもしれません。先の報道の見出しを見て思い出したことがあります。私が外来で担当している発達障害の患者さんのことです。その患者さんが勇気を出して自分の障害を友人や職場の同僚に自分の障害を打ち明けると、ほとんどの人が「わからんよ。普通にみえるよ」と返事が返ってくるそうです。そして、この「普通にみえるよ」という言葉がツラいと話していました。
この患者さんのような発達障害の方だけでなく、世の中には、生きにくさを抱えながら必死に生きている人たちが、たくさんいます。
そのような方々に対し、私たちは、無意識に自分たちを「多数派」ではなく、「普通」という言葉にすり替えて、知らず知らずのうちに誰かを傷つけたり、排除したりしていないでしょうか。私自身も・・・。
女優さんの結婚報道から、「普通」について考えを巡らせた、秋の日でした。
ヤム