昨年そして、今年と新人ソーシャルワーカーさんの教育を担当しています。
最近の新人さん達は、皆とても優秀で将来が楽しみです。
私自身が新人のころと比べれば、10倍いや100倍は出来ます。そして、ソーシャルワークもよく理解している。『このまま成長すれば、きっとソーシャルワークの未来は明るい』と思えるほどの可能性を感じます。
とはいえ、成長には躓きが必ずあります。
昨年も今年も、新人さんそれぞれに躓きがあり、もがく時期があるのも事実です。
ソーシャルワーカーをしていると、自分の力のなさ、ふがいなさに打ちひしがれ、涙があふれ、身もだえするような、そんな時があります。
私にもありました。
MSWになって5年たった頃でした。それまでも、一生懸命仕事をしてきたつもりでしたが、ある程度の経験にまかせ、小手先のソーシャルワークで“こなせていた”時期でもあったように思います。
そんな中、私のソーシャルワーク人生を方向付けるケースに出会いました。
心肺停止の子供さんです。
救急搬送の結果一命はとりとめましたが、人工呼吸器管理となり、意識は戻りませんでした。
それまでの生活の殆どを犠牲にして、一生懸命に看病を続ける親御さんでした。
しかし、親御さんの強い思いが、時に厳しい言葉となって返ってくることもありました。
当時の私にとっては、非常に重たいケースとなっていきました。
いつしか私は、親御さんの気持ちと向き合おうとすることから逃げ、表面だけのかかわりとなっていきました。そして、入院から1年たった頃に、体裁のみを整えた転院調整を行ったのです。
転院が決まった時、親御さんから「私たちは、ソーシャルワーカーに騙されました」と言われました。親御さんは、わんわん泣きながら、悔しさに身を震わせながら、ソーシャルワーカーの私にそう言いました。
親御さんの強く深い気持ちを知りながら、多くを犠牲にしながら子供に寄り添う姿を見てきたのに、それと向き合うことから逃げ、転院を“病院の方針”という力を借りて進めた私。なんと不甲斐ないソーシャルワーカーなのか。
自分の不甲斐なさ、狡さ、不誠実さ、弱さ、傲慢さ・・・。そして、その犠牲となった親御さんと患者さん本人への申し訳なさで、どうしようもないほどの思いでした。
涙ながらに訴える親御さんに、私は泣きじゃくりながら謝り続けました。
その患者さんは、転院後間もなくして亡くなりました。
力の無いソーシャルワーカーは、クライエントを不幸にする。そう、強く感じた瞬間でもありました。
ソーシャルワーカーとしての成長が必要であることを痛感し、私は大学院に進学しました。
ソーシャルワーカーとして、人と向き合う覚悟、そして命と向き合う覚悟を得ることが必要だと思ったので、大学院での研究テーマは、ソーシャルワーカーの生命観です。
私は、その患者さんとは一度も言葉を交わしていません。でも、言葉を交わさなくても、その患者さんは私にとって一生忘れることのない存在となっています。私に成長することの必要性を教えてくれた人なのです。
ソーシャルワーカーの成長の過程で、多くの躓きや壁があります。
時に、耐えがたいほどの悲しみや自責の念、許せないほどの不甲斐なさに直面することもあります。でもきっと、そこからが、本当の意味での成長の一歩になるのだとも思っています。
単なる知識の蓄積や業務処理の方法の話ではなく、本当の成長への。
壁に見えても、躓いてしまっても、それは、成長の種である可能性が高いのです。
その先に進むことを躊躇わず、疑わずに進んでほしいと思います。
「もっと力がほしい」と切望してください。
必ず、その先が見えてきます。
ソーシャルワークは未完の援助技術と言われています。
到達点は未だ見えぬ雲の上なのかもしれません。
でも、だからこそ魅力的な仕事であり学問であると思っています。
より高みを目指して、ともに進んでいきましょう。
P.N通常の三倍