2018年7月26日

 前日の症状も完全に収まらない中、3日連続して日帰り出張となった。事務では、薬の効きや症状に合わせて、電話を掛ける時間なども微妙に調整できるのが良い。しかし出張となると、ちょっとした打合せでも、四肢の脱力の影響を受けて予定通りに到着出来なかったり、吃音が出たりする。その時のペースで微調整できないことが、かなり負担だ。
 その後も、打ち合わせやトラブルの出張が続き、結局八月の外来までの一か月間で、13日出張したことになる。職場の上司や同僚も、出張を減らすようには配慮してくれているのだけど、なにせ戦力となる人員が少なくて、すぐにラクになれる訳ではなさそうだ。
 主担当を離れ、出張も無くなり、トラブルの第一報も自分の携帯電話に入らなくなる。そうなれば、体調次第で早く帰ったり休んだり出来るので、かなり楽になる。体調の大きな落ち込みも減るだろう。しかし、社内での存在意義を考えると、身の振り方が難しそうで、今から頭が痛い。周囲の配慮に感謝し、無理解や圧力を受け流しつつ、自分に出来る仕事を探していくことになるだろう。

 プレドニン増量後2日間の体調を考えると、薬はかなり効いているはずだ。しっかり休めば、殆ど自覚症状が無くなるはず。という期待。
 なんだか出張が多く、客先の要望に全て応えることも難しい状況の中、プレドニン増量前よりも憎悪している症状。

 そんな中、夜遅く帰宅すると、妻の目が、少し涙を湛えているような、赤みを帯びているような気がした。
 朝、手紙が置いてあるのを見つけ、嫌な予感を感じつつ、中身を見た。一言で言うと、「離婚したい」という内容だった。ショックが大きく固まってしまったが、幸い少し時間に余裕があったため、会社には遅れなかった。
 妻には、色々と苦労を掛けてきた。前職では仕事で疲れすぎていたし、子供をどう扱ってよいのか分からず、所謂ワンオペ育児の様相を呈していた。転職後も、新しい仕事に慣れるため、気力も体力も殆ど仕事に注いできた。昨年からは重症筋無力症も加わり、出社するだけで精一杯となり、休日はほとんど寝ているだけの状況が、今も続いている。そもそも私の性格上の問題もあるし、様々なことで傷付けてきた。「離婚したい」という妻の希望は、とても悲しいものではあるけれど、すんなり理解できることでもあった。
 暫くは、出社するだけでも限界に近い身体を引きずりながら、自分のこれから、妻のこれから、子供のこれからを考えた。脱力の症状により、ペンで文字を書くことも出来ないので、メールやメッセージアプリで妻と色々な話をした。
 何人かに離婚の話が出ていることは伝えたが、「この人なら相談出来る」と感じるような親しい人も居ないし、自分の頭の中で考えたいことも多かった。

 話は変わって、駐車場から家まではかなり急な階段で、手すりも無い。普段から怖い思いはしているのだが、この日は雨が降っていたので、傘を差しながら上っていった。階段を上り終えた後、一息つき、更に一歩踏み出すと、太もも前側の力が抜けた。ゆっくり前に転ぶ格好となったが、当然のように手を付けると思っていた。
 しかし本人のイメージに反し、付いた手は折れ曲がり、肘と肩が濡れた地面に接触した。
「あぁ……。そうか。もうこんなに病人なのか。なんだか、消えてしまいたい。」
 天候が雨だったこともあって、惨めな気持ちは加速したが、そのうち我に返り、立ち上がる作業に取り掛かる。腕立て伏せの要領では起き上がれない。まずは足を引き込み、転がり、土下座の姿勢まで持っていく。体幹の筋肉はある程度言うことを聞いてくれるため、全体を後ろに回すようにして上半身を起こす。あとは、エアコンの室外機に手を掛け、立ち上がることができた。よろよろと家に帰って確認すると、肩を軽く擦り剥いていた。
 自宅マンションの敷地内だったので、誰とも会わなかったのは幸いだった。こんな男を目にしたら、かなり不審であろう。自分が発症前ならば、昼間から酔っぱらっているか、思考回路に問題があり暴れだすか、何かの重い伝染病なのではないかと、警戒してしまう。(障害及び病気をお持ちの方が見たら気分を害されると思いますが、素直な感想です。申し訳ありません。)

 何日か経ったあと、離婚問題については保留とする旨を妻から伝えられた。やはり安堵してしまうが、何の問題が解消された訳でも無いため、「離婚したい」と切り出した妻の気持ちは忘れないでおこう。

 月の半ばには、家族で県外の観光名所まで足を延ばし、散策を楽しんだ。思い返せば、7月から8月の外来までの期間で、まともに数キロメートルの距離を歩けたのは、この日くらいだった。素直に楽しく、とても良い思い出になった。

 散策の疲れも、やはり症状に出たようで、数日後に妻の実家で段差を上った後、やはり太もも前側の力が抜けて前に転ぶ。ゆっくり倒れるので手は出るのだけど、やはり無力で、顔まで床に接触した。鼻に体重が掛かるのは嫌だったため、額で着地するのが精一杯だった。鼻には、眼鏡のノーズパッドの部分で軽い怪我をした。
 その日から新幹線で二泊三日の出張だったため、四肢の脱力は一度しゃがむとなかなか立ち上がれない。重心を体幹からずらせない。嚥下は液体も満足に摂れない状態となった。なぜか1日に、昼夜いずれかはそれなりに食べられる時間があり、ここぞとばかりに水分とカロリーを摂ったりした。
 夜もトイレに行くことすら難しく、四時間ほど掛けて入浴だけ済ませ力尽きた。本当はホテルで報告書を書かなくてはいけなかったが、頭の重心を首の付け根から外すと落ちてしまうため、全く字が書けない。翌日同行していた先輩に書いてもらった。

 帰宅後もワイシャツのボタンが留められないなど、朝の準備に二時間半ほど掛かり、時差出勤する。殆ど固形物が食べられず、むせながら栄養ゼリーや豆乳などでカロリー補給しながら仕事をしていた。やはり一日一回は、なんとか固形物を食べられる時間があり、不思議に思いながらも有り難く頂いた。

 朝は薬が切れていて症状は最悪レベル、朝のプレドニンとメスチノンが効いてきた頃から上向きとなるが、通勤がある場合は倒れそうな状態で会社に着くため、持ち直してくるのは11時頃となる。お昼にも朝と同じ薬を飲むため、お昼から夜の八時くらいまでの間に、固形物が食べられる時間が現れる。夜の十時を過ぎると、プレドニンが切れるためか、メスチノンを追加しても症状が改善しないことが多い。今の病状は、大体この様な日内変動がある。プレドニンを増量した辺りから複視にはあまり悩まされないが、冷静に観察すると物が二つに見えていたりするので、脳が慣れただけなのかもしれない。眼瞼下垂は、会議でプロジェクターを使ったりすると、ほとんど目が閉じてしまうくらいとなる。

 お盆明けは出張もなく、土日もゆっくり休んだので体調が良い予定だった。少なくとも、私はそう期待していた。確かに球症状もそれほど強くないが、たまに誤嚥や吃音が出るのが予定との調和を乱す。起き上がれないほどではないが、何となく怠く、何も出来ないでいたら美容院の予約の時間が迫ってきてしまった。
 急いで用意して出掛けるが、我が家からバスに乗るためには、六階分程の階段を降り、また七階分程の階段を上らなければならないのだ。これが今月は休憩無しでは上れないことが多かったが、今日はゆっくりながら休憩せずに上ることができた。が、上り切って信号が青だったため少し走ろうとしたところ、転んだ。今回は顔ギリギリのところで手が体重を受け止めてくれ、怪我はなかった。
 分かりやすい原因があって憎悪する場合は、その原因を取り除けば軽快すると分かっているため、症状を受け入れやすい。しかし、しっかり休んでも思うように軽快しない場合などは、病状の悪化を突き付けられているようで、なかなか受け入れがたい。
 この先、どうなっていくのだろうか。