重症筋無力症診療ガイドライン2014(南江堂)によると、重症筋無力症は、発症時に71.9%が眼瞼下垂、47.3%が複視と眼症状を認められる例が多く、眼筋型の20%が経過中に全身型に移行するとされている。私自身も斜視により精神科領域外の病気を疑い、総合病院を受診したことで重症筋無力症の診断に辿り着くことが出来たが、身体のだるさや吃音障害の時点では、血液検査で明確な診断が出来るような病気とは考えなかった。
 書籍、医療機関のサイト、担当医の説明で、どのような病気かは知ることが出来た。SNS、特にツイッターでは、医療関係からあまり得られない患者の生の声や日々の暮らしの辛さや工夫、医者が言えないような裏話を知ることが出来た。処方が変わる度に多少リセットされるものの、薬との付き合い方も少しずつ慣れてきたころ、やはり、かなり前から発症していたのではないか?という思いが強くなってきた。

 幼少期の記憶はあまりないが、小学校の頃から運動は苦手で、持久走などはかなりビリに近いところを走っていた。1kmの持久走で、走り始めてまもなく、折り返してきた先頭ランナーとすれ違うような有様だった。一緒に殿を務めた仲間は、喘息持ちだったり太っているなど、いかにも不健康で走れなそうな面々だったと記憶している。対して私は、特に健康状態が悪い訳ではなく、痩せてはいるが運動部と誤認されることも多いような体型だった。
 高校の頃には、少し動くとすぐに疲労困憊してしまい、どこでも寝てしまうようになった。ただ、それだけしっかり休んでいるので、あからさまに重症筋無力症だと分かるような症状は出なかった。通学で体力を使い果たし、授業中は寝てしまう。昼寝をするので、夜更かししてしまう。朝起きれない。昼夜逆転。高校三年の一年間は、数十日の休みと、百日を超える遅刻が付いていた。趣味のギターなども、早いフレーズは辛く、弾いていると楽器が重く、だんだん寝っ転がるようになってしまっていたが、自分にはやる気がないだけで、みんな同じようなものと思っていた。ギター歴は20年くらいになるのに、人前で披露出来るレベルに遠く及ばないのは、この病気のせいだ。ということにしておく。
 受験勉強もあまりせず、滑り止めに受けた大学へ進学したものの、バイトとの両立が出来ず、ほぼ不登校状態となる。このままではいけないと心を入れ替え、自動車整備の専門学校に転入し、トップレベルの成績かつ皆勤で卒業した。しかしこの時も学校のことで疲れ果て、私生活の場面ではほとんど寝ているか、パソコンに向かっているか、という状態だった。
 トラックやバスの整備士として、周囲より少し遅れて社会人となり、三年ほど頑張ったが、結局リタイヤすることとなる。かなりハードな肉体労働であり、周囲も疲れ果てていたので、病気を疑うことはなかった。しかし今思えば、同僚は休日や会社帰りには思い思いに遊んでいたが、私はトイレや食事以外布団から動けず、病人のような休日を過ごすことが多かったし、車で帰宅した後、玄関まで辿り着けずに寝てしまっていたりした。業務用エレベータが到着するまで二分ほど掛かっていたので、昇降室の中で横になって寝ていたこともあるが、今にして思えば、一分横になっただけで多少動けるようになるというのは、重症筋無力症特有のものではないだろうか。
 部署移動後、同僚の影響もあり、通勤用という名目でロードバイクを購入した。最長で一日140kmほどを移動したり、ヤビツ峠というアマチュアサイクリストのメッカ(11kmも上り坂が続く)に何回か登ることが出来た。自動車整備士にしても、ロードバイクにしても、体型の割には疲れやすかったように思う。当時はかなりのアスリート体型でした。ということにしておく。
 
 転職後、一年半程度で吃音障害に続いて複視の症状が出て、重症筋無力症の診断が付いたところからは、綴ってきた通りだ。今の会社を騙すつもりは一切無かったのだが、入社してすぐにこういった状況になってしまい、大変申し訳なく思う。いまでも体幹は頑張って維持しているので、一歩も歩けない。ということは無いが、ラジオ体操は症状が軽い時でもきちんと出来ない。

 ここで改めて、発症時のデータを見てみると、実は最初から全身型だが、診断時は眼症状しか発見できなかった例が多いのではないか?と考えてしまう。