「記憶の扉」 その1
その夜は蒸し暑く、寝苦しかった・・・。
身体が水分を求めている。大量の水分が失われたからだ。
寝台の横になっていた蓮(レン)は、ムクリと起き上がると、まだ明け方には程遠い 時刻に、水分を求めて部屋を出た。
水はこの世界では貴重なものだ。ましてや、身体のすべてのエネルギーとなるもの。夜になると、そう簡単には飲めないように管理されている。
監視のいる水龍の間にいこうとおもい、蓮はハタと考え直した。
どうせ、目も覚めている。
( 外にでも出て、雨水でも飲んでくるか!)
昨日、夕方珍しく雨が降った。
その雨水が、葉っぱの内側にたまっているのに期待をして、もと来た道を戻り、いつもの抜け道を通って星流派(セイリュウハ)の長鳴館(チョウメイカン)と呼ばれる屋敷の裏手に出た。
周りには下女(ゲジョ)が植えた花の数々、名も知らぬ植物、それからあまり高くはならないという白鈴樹(ハクリンジュ)白い花が咲く木々が所狭しと並んでいた。
そのひとつ、器のように丸い形をしている、葉っぱの凹んだ部分を覗いてみた。
案の定、雨水が内側にたっぷりと溜まっている。
蓮はその葉をそっと引きちぎると、葉のヘリを口へと近づけた。
流し込んでゴクリと喉を鳴らす。
( おいしい!!)
身体に水分がしみ込んでゆくのが分かる。
葉に溜まった雨水は、とってもおいしいのだ。
( たまに飲むと格別だな。いつか、紅月(クゲツ)にもおしえてやろう! )
紅月(クゲツ)とは、年が蓮とは十才程離れてはいるが、唯一本音で語れる、年上の友達のようなものだ。
初めて会ったのは六歳の時だった。
父の悪友だったのだが、今では蓮の悪友になりつつある。
喉が潤うと、蓮は身の丈程の樹木を軽々と飛び越え、辺りを見渡した。
(静かだ!!)
時折、葉の揺れる音が聞こえるのは、昨日の雨のせいだろう。
誰に見つかるはずもない。
今頃、まだ親父も他の者も寝ているはず・・・。
蓮は漆黒(シッコク)の闇を、まるで風がすり抜けていくように走り抜け、すばやく屋敷の中へと入り込んだ。
夜に目が見えるものなど、あまりこの世界にはいない。いるとすれば、地流派(チリュウハ)と呼ばれる護衛の役目を担っている者たちぐらいだろう。
あとは、幼いころからそういう訓練を受けた蓮(レン)のような者だけ・・・。
大抵の者は闇を嫌う。
夜に光がないのだ。
この世界では、まさに夜は漆黒(シッコク)の闇といってもいいだろう。
静かに寝台にもぐりこむと、蓮は軽く息を整えゴロリと横になった。
そして、真っ暗な窓の外の空を見上げた。
向こうの世界では、あの黒い布のような空に無数の穴が開いているという。
なぜ?どうして?
という疑問符が頭をよぎっていくが、いくら考えても答えはわからない。
こちらの世界の光とは違い、あちらの世界には太陽という強い光があるという。
そのことすら分からないのだから、仕方がないことなんだと、いつも自分に言い聞かせる。
なんとか寝ようとして目をつぶってみるが、水分を飲んだせいで身体が起きてしまっている。
( しかたがない・・・)
蓮は仰向けになり、いつも浮かんでくる疑問にただ心を投げ出した。
* * * * *
まだ、十才にも満たないこの少年の名は蓮星(レンセイ)
皆は蓮(レン)と呼ぶ。
大した家柄でもない。
蓮の父、弥星(ビセイ)が、星流派(セイリュウハ)にとって、なくてはならない力を持っているので、上の方から丁重に扱われているだけだ。
もっとも、蓮とてそれは同じことだ。
彼には他の者にはない特殊な能力が備わっている。
弥星(ビセイ)とは血のつながりはない。
わけあって、彼が蓮を育てることになったのだ。
しかし、それは何も出来ぬ男の一人手。
馴染みの下女に頼って、身の回りの世話をするものを頼んだ。
下女は弥星(ビセイ)と同じぐらいの年頃の女だった。名は葉星(ヨウセ)といって、よく働いて気が利く者で、蓮もなんとか懐いてくれた。
実のところ、弥星(ビセイ)は蓮が来る前まで、この屋敷に一人で住んでいた。
護衛も置かぬのはこの地で、この男ぐらいだろう。
それが、蓮を預かったことで護衛達を数人屋敷に招き入れ、下女も増え、弥星(ビセイ)の周りは途端に賑やかになった。
それ以来、葉星(ヨウセ)は、この屋敷の下女としてずっと働いている。
記憶の扉 その 2へ続く