⁂ 主なあらすじ



パンラ国の王子であるクリークは、旅の途中で祖母の誘拐事件に遭遇。兄の毒殺事件に、王子自らも命を狙われていることが判明。森での襲撃により追いつめられるが、不思議な光りによって、九死に一生を得る



パンラ国物語 第1巻


その 1








「駄目です!クリーク王子。何度言ったらわかるんですか?」
「だから、そこをまげて頼んでいるんだよ!」
               
パンラ国のシス城の一角。三階にあるクリーク王子の自室から、二つの声が聞こえてきた。 
 少し高い声は、ほんの一か月前に十五歳の誕生日を迎え、どうしてだか未だに男の子特有の声変りがない、このパンラ国の次男クリーク王子である。
もう一方の威厳すらありそうな声は、今年、二十歳を過ぎたクリーク王子の侍従ランディであった。    
「いいですか王子!この間の拉致事件のことがあって、まだ半月にもならないんですよ。またお忍びで出かけられたと王妃様が知ったら、どれだけご心配なさると思っているんですか!駄目です!」
「頼む、ランディ!!どうしても行ってみたいところがあるんだ!」
「だったら、陛下に頼んでご覧になればよいことではありませんか!」
「だから、それは無理なんだってば!」
 ランディにだって、それが無理なことぐらい百も承知だった。しかし、パンラ国の 王子の身に何かあったらと思うと、そうそう頷けるものではない。
「駄目です!!」
 太い声を張り上げてランディが一喝すると、王子はじっと黙り込んだ。 ランディはため息をついて、目の前のまだ若干幼さが残るクリークをみた。
 大体、これでは立場が逆である。何を好き好んで臣下の俺が王子に向かい、こんな声を張り上げなければいけないのだろう。
 口を閉ざし、俯いている表情を見やって、やっとわかってくれたのかと一安心していると、いきなり自分の前で、王子が膝を床につき土下座をしたのだ。
「な、何をしているのですか!?」
 目の前の光景が信じられなかった。
「頼む、ランディ!!」
こんな事をされてはたまったものではない。こんなところを誰かに見られたら、俺はただじゃ済まない…。
一日か二日ならいいかと、妥協しようとしていたその時、なにやらバタバタと人の足音が聞こえてきた。
「クリーク、どうしたのです?今怒鳴り声がしていたけれど…」
王妃の声である。クリーク王子の母、ナーディア王妃の声だ。
クリークとランディは、その声にギョッとした。
 どちらともなく目配せすると同時に、王子は大声を張り上げた。
「だから、駄目だと言っているだろう!」
 ドアを開け放ち侍女を伴って入ってきた王妃は、そこに片足を折り、頭を下げたランディと、その前に立ち尽くし、しかめっ面をしている王子をみとめた。
「どうしたのです、クリーク。そんなに大きな声で…。皆が驚きますよ」
 軽くたしなめた王妃だったが、さっきまでは心が張り詰めていたのである。
 特にこの頃はそうだった。
 クリークが拉致された事件は、幸い大事には至らなかったが、本当に死ぬほど心配したのだ。
 それでこの頃は、こうしてたまに不意をついて、王子の安否を確認しに来るのだ。
「母上、どうされたのですか?こんな夜更けに…」
「おまえが心配で見に来たのです。一体どうしたというのですか?」       
 いえ、それが…と、クリークは王妃に事の次第を説明した。
「それは、それは、大変だわ、クリーク。親御さんが重い病気ならば行かせてあげなさい。幸い今は政情も安定していることだし。ねえ、ランディ?さぞかし親御さん心配でしょう?」
 ランディは声を立てずに、ぎこちなく首を動かした。
 こういう場合は、あからさまに頷いてはいけないのだ。ランディにはよく分かっていた。
「ですが母上、僕はこの三日間お城にいないのですよ。ランディがいないと困るのですが…」
「え?おまえがいないなんて、どこに行くのですか?」
 王子はニッコリと笑って、お祖母様のところですと答えた。
「お、お祖母様のところ?」
 クリークの母方の祖母は、ターニャという森の外れの小さな家で暮らしていた。この前、拉致された時、クリークは祖母の家に行くとごまかして、お城を抜け出したのである。
「この前、いらぬご心配をおかけしたからね。お詫びに行こうと思って…。それに、お祖母様の家もこの前の大雨で、扉やその他のものが壊れたとおっしゃっていたから、直して差し上げたいんだ」
「確かにあの時はご迷惑をおかけして…。でも、なにも王子のおまえがしなくても…」
「わざわざ来てくれると言った職人を断って、僕がと言ったんだ。それにこういう事は、心がこもらないとね」
まさか、同じ嘘をつくとは思えないのだけれど…。
 王妃はジッとクリークの顔を眺めた。
 駄目だと言っても、きっとこの子は行ってしまうだろう。いつかいなくなってしまうかもしれない。そんな漠然とした不安がいつも王妃の心の中にはあった。    
「クリーク、ならば例の侍女のエマを連れていけばいいわ」
 エマとは、クリーク付きの唯一の侍女で、他の者とは一風変わった侍女だった。 
「エマですか?ですが、女官長が何と言うか…」                
「お祖母様の所なら、パテの街の付近だし、そう危険な所でもないでしょう。女官長には、私が伝えておきましょう」
「では、構いませんか?」
「おまえがランディに三日間の休暇をあげると言うならば構いません」      
 そうですねえ…と、なるべく悩むふりをしながら、ランディに目を向けた。
 ランディは呆れ顔で俯いていたが、勿論その顔は王妃にはしっかり見えないように努力した。
「わかりましたよ、母上。仕方ありません」
「まあ、良かったわね。ランディ。しっかりと親御さんを見舞ってあげなさいね」
「はい。ご助言いただきありがとう存じます。王妃様」
 王妃がお付きの侍女と共に下がっていくと、ランディは安心して立ち上がり、王子を睨み付けた。
「ばれないと思っているんですか?」
「まさか、同じ嘘だとは思わないだろう?」
 王子はくすぐったいような笑顔をみせる。                  
 ランディは心底ぐったりとして、両手の平を上に向けた。           
「呆れました。もう、お手上げです」
「じゃあ、一緒に行ってくれるんだな!」
 渋々頷くランディに、満面の笑みで答える。
「エマも連れていくんですか?」
「いけないかな?喋った以上連れて行かないと、母上にばれるからね」      
「確かに…」
 明日、エマがこの城にいたら大騒ぎである。                 
「あいつ、相当喜びますよ」

 クリークの自室を後にして、自分の部屋へ帰るまでの間、ランディは今まであの王子と、幾度となく城を抜け出したことを考えていた。
 思えば、よく今まで城の連中にばれなかったものだ。この前の拉致事件の一件さえ除けば後のことはまったく誰にも分ってはいない。
 確かに頭は悪くない。瞬時に何かをひらめき、兄であるサンドラー王子の仕事にも何度か貢献した覚えがある。
 しかし、城の兵士の噂では、剣の腕の方はからっきし駄目だという。
本当にそうなのだろうか?との疑念がこの頃浮かんできてはいるのだが、まさか、自分の仕えている主君に向かって、剣をふるうわけにもいかない。
 クリーク王子は、兄のサンドラーの行き届かない下々の暮らしの様子を、内緒で逐一報告している。兄を慕っているし、何よりこの国の事をとても大切に思っているのだということはよく分かる。
 そういうランディだって、クリークと共にお忍びで城を出て回るのは嫌いではない。息苦しい城での生活も、これがあるから未だに我慢できているのだ。それがなければ、今ここにいるかどうかも分からないだろう。
 ランディはもとはといえば、ただの一介の戦士だった。
 パンラ国のダスト将軍の目に留まり、腕を見込まれてお城に入ったのである。それがどういうわけか、更にクリークの目に留まりお付きの侍従になった。
 さっきのエマという侍女のほうも、多少は違うが似たような感じで連れてこられたと聞いている。
 まあ、もともとかなり変わった侍女なので、他のところでは勤まるかどうかは、非常に怪しいのだが…。

     *     *     *     *     * 






    

 その翌日、シス城の上に広がって、すっかりと晴れ渡った青空を見上げながら、クリーク王子は裏手門の近くで、侍女エマが来るのを待っていた。
 どうやら、朝早く王妃に呼び出されたらしい。しっかりと王子を頼みますよと、念をおされているエマの姿が目に浮かんだ。
 クリークは苦笑すると、先ほどから周りで飛び回っている虫に興味を抱いている、愛馬のジンを見やった。ジンは物珍しそうに虫を眺め、右へ左へと鼻を伸ばしている。軽く撫でてやると、ジンは嬉しそうに鼻を鳴らした。              
「申し訳ございません。遅くなりまして…」
 遅れてやってきたエマは、恐ろしくたくさんの荷物を馬に乗せて現れた。    
「どうしたんだ、その荷物は?」                       
 何でも、王妃から、お祖母様へのお土産を持っていくようにと渡されたらしい。 クリークは鼻で笑った。
これでは必ずお祖母様の所へ行かなければならない。どうりですんなりと許してくれたわけだ。母上も考えたものだ。
 だが、とりあえず荷物を届ければいいのだ。                 
 そこからどこへ行こうとも、母上には分からないだろう。           
「エマ、ターニャの森近くにランディが待機している。そこまで行って、それからお祖母様の所に行こう」
「ランディが?どうしてですか。女官長のお話では、家の方で急病人が出たとかで…、三日はいないと聞きましたが…」
「まあ、表向きはね」                            
「では、今回は私も連れて行っていただけるのですね?」            
 満面の笑みで問いかけてくるエマに、クリークは同じように笑顔で答えた。   
「今更、エマを置いてゆくわけにはいかないしね。それじゃあ母上にばれてしまう」
 クリークとその侍女エマは、自分たちの馬にまたがると、シス城の眼下にあるナリスの城下町を抜け、ターニャの森へと馬を走らせた。
 ターニャの森で待機していたランディは、王妃様から渡されたその荷物の多さに呆れていた。
「完全に信用されたわけではないみたいですね」                
「そうみたいだね」
 クリークが肩をすくめた。
「それではまず、ヘイン様の所へ向かうのですね?」              
「そうだな、遅くなって荷物がすべて使えなくなったらまずいしね。僕もそんなものをお祖母様に持っていきたくはない」
一時も馬をとばしていると、三人の足元はすでにターニャの森を抜けて、北にあるパテの街に続くダロンの街道のそれに入っていた。
 クリークの祖母のヘインは、今年六十代半ばになったばかりである。
最近は年齢の割には早々とボケがきているらしく、何度も同じことを話していますと、ヘインの世話をしている侍女が心配をしていた。
 まだまだお元気でいてもらわねば…。
お祖母様は今でさえ、ボケていらっしゃるが、自分の意思はしっかりともっておいでだ。母上と比べれば実にお強い人なのだ。昔、薬師をしていたこともあってか、下々の者たちにも慕われている。
 そんな祖母がクリークは好きだ。立派な屋敷もあるのに、小さなこの場所でよいと、農民たちの近くで侍女と二人で暮らしている。元気でいてもらいたいものだ。
クリークはいつもそう願っていた。                         
 ダロンの街道を道なりに少し行くと、左に折れていく道がある。
そこを通れば、ヘインの住んでいる北のペタン村まではそう遠くない。
そのダロン街道をそのまま折れずにずっと行くと、その先には、北のワーク山脈のふもと近くにパテの街がみえてくる。そこから東を望めば、シス城からも見えるタキの高台がその存在感を誇っている。
山を切り開いて建てられたその建造物は、遠くまで見通せるようになっており、他国からの侵入をここで監視するように造られている。そして、その近くにはパンラ国の精鋭部隊、北の砦を守るインベル騎士団の砦があった。そのタキの高台を背に小道を折れてさらに進んでいくと、山並みのふもとにこじんまりとした家が何軒か、ちらほらと見えてきた。
見慣れた家々を遠目に見て、そこから徒歩に切りかえた後、前を行くランディの足がふと止まった。
「どうした、ランディ?」
ヘインの家を見て、クリークもなにやら胸騒ぎをおぼえた。
朝をとっくに過ぎているのに、窓という窓がしっかりと閉じられており、いつも陽気な侍女ローサの声が聞こえないのだ。それだけならまだしも隣の家までもシーンと静まり返っている。
「何かあったのでしょうか?」
エマの声が上擦った。
ここのところ、パテ郊外で二人の者が行方不明になったと、インベル騎士団の団長からの報告があったと聞いていた。
 行方不明になった者はいずれも薬師だということで、今現在に至ってもまだ帰ってきていない。森へ入り、道がわからなくなってしまうことも多々あること。常に常備品を用意している薬師には、あまり気にも留めていなかったのだが…。

 クリーク達はすぐに馬に乗り込み、慌ただしくヘインの家に向かった。
 家の近くに馬を繋ぎ、辺りを探ったが、まるで人の気配が感じられない。
「ランディ、隣の家も見てきてくれ!」
「はい」
 返事をすると、すぐ駆け出す
エマはゆっくりと気配を殺しながら歩き、クリークと目線を交わすと、裏手の方へと回った。 クリークは家の周りを即座に眺めていった。
 左手に見える井戸から、しっかりと閉じられた窓と玄関口にあたる扉。さらに右手に見える納屋を眺めながら、慎重に足を進めて扉の前に立つ。
 片手で扉を握り、もう一方は腰の剣を握りしめた。
 様子を見に行っていたランディが帰ってくる。
「隣の者は大丈夫、生きています。身動きはとれないようですが…」
「そうか」
 短めに言って、木目の古びた扉を睨む。
 ドン!と、派手な音がした。エマが裏手から入り込んだようだ。それに少し遅れてクリークが勢いよく扉を開け、後ろにいたランディが中へ入り込んだ。
「ローサ!」
 エマの甲高い声がした。
 寝室のある方へいくと、エマがぐったりとしているローサを助け起こしていた。クリークが縛られていたロープを解き、ローサの口元に手をあてる。
「大丈夫だ。気を失っているだけだ。エマ、水!」
 機敏に動いて、外にある井戸へと走る。 
 周りを見渡して、特に部屋が荒らされた様子がないことから、金銭による物取りではないことは明らかだった。
 目的はヘインだったのだろうか?
「ランディ、お祖母様は一体どこに行ったんだろうねえ?」
 その口調は、明日雨になるのかなあ?というみたいに飄々としたものだった。
「さあ、そんなことを俺に聞かれても困ります」
くそ真面目な顔でランディは答えた。
 冷たい水を飲ませ、やっと意識を取り戻したローサを椅子に座らせると、隣の家の助け、近くの民家にもこの事を知らせて皆をここへと集めた。
 そして、なにがあったのか、事の次第を聞き出した。
「ヘイン様がさらわれるなんて…。ああ!元はと言えば私が悪いんです。ヘイン様をあいつらに紹介したばっかりに…」
「いいや、俺たちが気付けなかったんだ。おまえのせいじゃなかろう」
「いいえ、このローサがお守りできなかったばっかりに…」
 口々に皆、自分が悪かったと嘆いている。
 そんな中、侍女のローサは意気込んで言った。
「クリーク王子様、もう覚悟はできています。どうか私を捕らえて、お城へとお連れください」
 クリークは苦笑するしかなかったが、顔は普段とは変わらずに、大粒の涙をためて泣いているローサをたしなめた。
「ローサ、僕は君を捕らえようなんて少しも思ってはいないよ。勿論、ここにいる人達もだ。僕はここで何があって、どういう者たちが何の目的でお祖母様をさらったのか、それが知りたい」
 しっかりとした口調で、周りの者たちの視線を見つめた。
 先ほど、真っ先に答えた女が口を開いた。
「朝早く、子供を連れた親子連れが家にやってきたんです。ここいらで病気によく聞く、民間療法をやっている人を知らないかと…」 
 早口でまくしたてたので、喉につっかえながら喋る。
「子供が病気なのだがお金がない。何とかお金のかからない治療法があるのなら、知りたいと…」
「それで、お祖母様を紹介したと?」
「は、はい」
 返事をした途端に顔を歪めて下を向く。すると、別の男が代わりに喋りだした。
「ヘイン様はお優しい方だ。わしらも子供らの病気を、何度治していただいたかしれん。子供が病気だと聞いて、放ってはおけなかった」
 クリークが頷く。
「僕だって病気を治したいと言われたら、迷わずに普通の医者よりも、お祖母様を紹介していたよ」
 パンラ国の王子にそう言われて、皆の張りつめていた気持ちが少しゆるんだ。
「その者たちの特徴は覚えているか?」
 皆に問うと、新たな者が口を開いた。
「三十過ぎの女だったな。俺らのとこにも来たからな。子供は六、七才だったと思う。息が苦しそうだった。あれは演技じゃなかった」
 そういえばと、別の女が何かを思い出した。                
「あの女…、臭いがした」
「におい?」
「は、はあ。あの…」                           
「おまえ、早く王子様に言わないか!」
 女の主人らしき者が急かす。
「え、えっと、何日も風呂に入ってない者の臭いとでもいうんですか?その…」 
「つまり体臭がしていたと?」
 はい…と、女は頷くが、何ともまだ言い足りなさげだ。
「でも、あの臭いはなんだかまた、ちょっと違うような…」          
「独特な臭いがしていた?」
「はい」
 えっーと、ほら、女は何かを思い出しそうになって、必死にそれを掴み取ろう と、手をあらぬ方向へと動かす。
「ほら、あんたの弟が飼っていた…。なんて言ってたかねえ…、黒くて大きくて 目が怖い…」
「ああ!あの狼のことか?」
「そう、それだよ!あの女、何かで臭いを隠していたけど、確かに狼の臭いがしていたんだ」
 横で聞いていたランディの顔がさっと変わった。
「狼ねえ…」
 クリークは呟くように言うと、側で泣いているローサの肩にそっと触れた。  
「ローサ。泣いていないで、それから先の事を教えてくれないか?じゃないとお祖母様を捜しにいけない」
 ローサはハッと顔を上げた。
これはヘイン様の命にかかわる事なのだということが分かって、萎えていた生気を取り戻した。
「確かに、女の方が子供を連れて訪ねていらっしゃいました。ヘイン様に事の次第を伝えると中にお通しするように言われて…。お客様ですから、お茶の用意をして、お出ししようとしていたところへ、口笛の様な音がしたと思ったら、二、三人の男達が突然入り込んできて、あっという間にヘイン様を連れ去っていきました。私は後ろから妙なものを嗅がされまして…それっきり…です」
 その時の恐ろしさと、ヘインが連れ去られた時の悲しみがまた一気に押し寄せてきて、ローサの目に涙があふれる。
「よく話してくれたね、ローサ。お祖母様は必ず助け出すから…」
 子供に言い聞かせるように言うと、クリークはエマに寝室に連れていくように促した。
 そして、騒動から一時経ち、ヘインの家にはクリークとランディ、エマの三人になっていた。
ローサはしばらく隣の家の者に頼んだ。
ローサがいては、何かとできるものも出来なくなってしまう。
 
騒動が落ち着くと、エマはすぐに馬に取り付けていた荷物の片付けに取りかかった。さっきからずっと気になっていたのだ。
 勝手知ったる他人の家の台所を借りて、手早く料理を作り始めた。火を入れておかないと、悪くなってしまう物があるからだ。幸い火種もある。
 どっちにしろ、これをヘインの口に入れるのは無理だろう。
その前に食材が腐ってしまうのがおちだ。食べてしまうのが得策だろう。
 蝶理を終えて一息つくと、今度は茶器とハーブの葉を取り出した。沸かしたお湯を注ぐと、辺りに甘い香りが漂う。
 たちまちエマの顔がほころんだ。三人分のカップと茶器を抱えて、食卓のある部屋へ入ると、クリークとランディが話し合っていた。

「王子、どうされます?東の砦のインベル騎士団に応援を頼みますか?」
「いや、それはあまりしたくないな」
「なぜですか?」
 クリークは、真剣な面持ちで答えた。
「第一に、お祖母様をさらった者達は、人を殺めていない。第二に、子供が病気で仕方なくやったことだろう。第三に、インベル騎士団が乗り出してくると、話しがややこしくなる」
 茶器を手にし、カップにハーブティを注いでいたエマが首を傾げる。
「クリーク王子、第一と第三は分かりますけど、第三はどうしてですか?」
「このパンラ国の王妃のお母君をだ、理由はどうであれ誘拐したんだ。捕まれば、悪くて関わった者すべて打ち首だね。幼い子供はともかくとしても…。親を失った子供っていうのは反れた道にはしりやすい。それが間違ってかな、大人になって山賊なんかの仲間に入ったりするんじゃないのかな?」
「ということは、王子は将来、賊の要因になるかもしれないことに、手を貸したくないっていうことですか?」
 分かっているじゃないかと、ランディに笑みをおくる。
「警備が厳重になれば、僕たちがお忍びで旅をできなくなる可能性もある。それは困るんだ」
 やっぱり最後にはそれが出てきたか。ランディは苦笑した。横にいるエマが熱いお茶を飲みながらうなずいている。
クリークがさらに話を続ける。
「ランディ、半年前に出没していた山賊がいたよな」
「はい。サンドラー王子が一か月前から準備をしてやっと捕らえ、陛下が感心しておられた、あのガウラー賊のことですね」
「ああ、兄上は山賊の中でも残忍な奴らを捕らえただけで、女子供、下っ端の者達は捕らえずに見逃した」
「その残党の残りが、今回の事を起こしたと?」
「たぶんね。だって、いくら子供が病気でお金がないからって、医者に見せないっていうのは相当な理由がないとね。シス城の城下町には、お金がなくて困っている人の為に、安くて医療を施すところがある。彼らは知っているんだよ。城下町に入れば当然、警備の者がいる。自分たちが元山賊だったことがばれる。勿論、あの時兄上の温情で開放はされた。でも何かの拍子に疑われるかもしれない。中には自分たちの顔を覚えている者もいるだろう。行きたくはない。だが、子供らを助けたい。そうだ!それなら薬師の一人をさらってきて、脅して薬を作らせればいい。」
「それなら、医師をさらってくればいいんじゃないですか?どうして、薬師なんです?」
「医師っていうのはお金持ちが多い。当然身の安全を考えて傭兵を雇っている。それに後々の事を考えるとどうみても分が悪い。城の兵士が出てくる可能性もある。その点、薬師は地味な仕事だ。森へ入り薬草を取り、それを粉にして売る。医師には劣るが病気には詳しいとくればいいことづくめだ。森へ入った薬師を捕まえてくることは、彼らにとっては造作もない。ターニャの森は勝手知ったる自分たちの庭だからな」
最近、十五歳になったばかりの、この王子の考え方は他の年頃の男子とは比べ物にならない。これでもし、剣術の腕が最たるものであったなら…。
ランディは冷や汗をかいた。
 兄のサンドラー王子と、この王子を巡って、いつかこの国が真っ二つに割れてしまうかもしれない。
 クリークはあまり剣を使わない。強いものには巻かれろというけれど、このクリークの場合は、強い奴にあったなら逃げろ。もし万が一出会ってしまったら、隙を見つけてやはり逃げろ。剣を使うのは本当に最後の状態に陥った時じゃないと使わない。
 実際、ランディが侍従になってから今の今まで、腰にある剣をクリークが抜いているところをあまり見かけたことがないのだ。城にいる兵士たちには、クリーク王子は頭の方は良いが、剣の方はさっぱりだと思われている。
「だけど、王子。それが山賊の残党だっていう決め手にはならない」
「ランディ、お前だってさっき気が付いたんだろう?狼っていうところで…」
「確かにそうかもとは思いましたけど…」
「あの山賊は以前,狼を飼っていたらしいんだ。今はどうかわからないけど。食料にしていたこともあったと、兄上の直属の部下が教えてくれた。それに捕らえられた時男達の何人かが狼の毛皮を着ていたらしい」
「毛皮ですか?」
「ああ」
 聞いていたエマが気持ち悪そうに顔を歪める。
「毛皮だなんて…。狼の皮をはぐんでしょう?ああー、嫌だ。嫌だ。その山賊を私が探ってくるんですか?」
 露骨に嫌な顔をする。そんなエマをランディがからかう。
「おい。んな顔したら、可愛い顔が台無しだぜ。エマ!そんな顔でも一応お前も女なんだかな。一応!」
「ランディ!それ以上言ったらクリーク王子の前でも容赦しないよ!!」
 侍女らしからぬ言葉だ。クリークは苦笑しながらエマに向き直った。
「エマ頼まれてくれるか?」
「はい。仰せのとおりに・・・。では」
思いっきり舌を出して、ランディを睨めつけると、エマは軽く足をけり上げて、風のように飛び出していった。何をすべきかはわかっていた。久しぶりの外でおもいっきり自由による解放感を味わったエマは、ニッコリと笑みを浮かべて馬の手綱を片手で操り、さっそうとターニャの森深くに入っていった。
クリークとランディは太陽が頭上に差し掛かる前に、腹ごしらえをすることにした。エマは心得ていたらしく台所にはきちんと料理が揃えられていた。二人の食事が終わるころには、偵察に行っていたエマが、すっかり汚れた服で帰ってきた。

「どうだった?」 
エマはきちんと一人分残してある食事を、口の中へきれいに片付けながら、事の次第を報告した。
「ターニャの森にそんな洞窟があったなんて初めて聞いた」
「はい。ある程度場所は特定していたんですが、私もあそこで偶然滑り落ちなかったら、わかりませんでした」
「それでそのありさまか?泥遊びをしてきたのかと思ったぜ!」
「うるさい!」
 ちゃちゃをいれるランディにエマが唸る。
「それで、エマ。その洞窟に人の気配がするんだな?」
 クリークが先を促す。
「はい。しばらく見張っていたんですが、出てくる者はいませんでした。でも、あそこに誰かが住んでいることは、間違いなさそうです」
「なぜそう言い切れる?」
「洞窟の周り一帯を調べてみました。あの、こんな話はしたくないのですが…。近くに穴が掘ってありまして。その…、臭いのするものがありまして…」
「におい?」
 クリークが訝しげにエマを見る。
「人間食ったら出すもんは出さないとな!」
「ランディ!せっかく遠まわしに言っているのに!」
 クリークが二人をなだめる。
「それだけかな、エマ?君のいう人が住んでいるという根拠」
 ランディを睨んでいたエマの目が、クリークに注がれる。
「いえ、小動物の骨が埋められている場所もいくつかありました」
 うむ、とクリークが頷く。
「間違いなさそうだ。ランディ、紙とペンを頼む」
「どうなさるのですか?」
「奴らに、お祖母様を返してもらわないとね」
「何か考えがあるんですか?」
「ランディ、お前の名を借りてもいいか?」
「ええ、構いませんが…」
 クリークは紙にサラサラと文字を書くと、最後に薬師ランディと付け加えた。
「これでいいんですか?」
「うん。こんな簡単なものに引っかかってくれたらいいんだけどね…」
 食事を終えたエマがこれは私の仕事というように立ち上がった。
「それでは行ってきます」
「気を付けてね。エマ」
 エマを見送ったクリークは、ヘインの家のドアを丹念に調べているランディに声をかけた。
「なんとかなりそうか?」
「ええ。でも、こんなもので引っかかりますかねえ?」
「わからない。でも、引っかかったら面白いよね」
「もし駄目だったら?」
「その時は別の方法にする」
 まるで楽しんでいるみたいに聞こえる。自分の祖母が捕まっているかもしれないというに…。あまり気にしていないみたいだ。
 ランディは苦笑しながらも、確かにこの家は無防備すぎると思った。
罠を造るついでに、この家を強化しようとクリークが言い出した。どうせ壊れた家屋の修理をするつもりだったから、ついでにしてしまおう…。
 台所の底に穴を掘り、窓という窓のも細工を施す。棚の奥の壁を破り、小さな隠し扉を造った。
 初めはランディが一人でしていたのだが、途中からクリークも加わった。
 派手な音が聞こえてきたのか、となりのご夫婦とローサが様子を見に来て、そのまま手伝いをかってでた。
 辺りが暗くなるころには、二人ともクタクタになっていた。
 エマはまだ帰ってきてはいない。
 エマにはちゃんと手紙が奴らに届いたか、その後どんな様子を見せたかを見届けて帰ってくるようにと、言い渡しておいた。

「さあ、お食事をしてください。お口に合うかどうかはわかりませんが」
 ローサとお隣のご夫婦が夕食を持ってきてくれた。ありがたいと、喜び勇んで二人は食事をすることにした。
 ちょうど食事の最中に、今度はきれいな服のままでエマが帰ってきた。
 エマの話だとどうやら本物らしい。男達が騒いでいたと語った。上手くいったらしい。
 エマはふと、テーブルに置かれた食事を見てギョッとした。
「まさか、これ、ランディが作ったの?」
「俺のわけがない」
 手をヒラヒラさせている。
「じゃ、じゃあ、まさか?」
 クリークの顔を見て、突如ランディを振りかぶって睨んだ。
「まさか、あんた!!」
 つい、頭に血がのぼって、声が大きくなった。
「そろそろ、化けの皮を剥いだらどうなんだ?」  
ますます頭にくる。憎たらしい男をキィッとに睨む。そんな二人を笑いながらクリークがたしなめた。
「エマ、僕だってどう逆立ちしても、こんな料理は作れないよ。だから遠慮なくお食べ」
違うと言われて、ホッとしたのも束の間、じゃあ一体誰が…?
 ローサとお隣の御夫婦と聞かされて安心した。
 食事を終えてきれいに片付けてしまうと、辺りは家も少ないせいかシーンと静まり返った。
 静かになると今度は、日頃、お城ではあまり聞くことのできない虫の鳴き声が聞こえてくる。
 耳を傾けていると、王子がねぎらいの言葉をかけられた。疲れているだろうから、寝室を使ってくれと言われたが、そんなめっそうもないとエマは辞退した。
 結局、もぬけの殻になった寝台をそのままに、三人はそれぞれ各自の配置につき、この家に侵入してくるであろう人物を待った。
 そして、それは二日後にやってきた。

                 

その 2へ 続く