僕は現在高校1年生ですが、今までカミングアウトした事があるのは2人だけ。

母と中3のときの担任の先生です。

先生には、結果的にカミングアウトしてたわぁみたいな形になってしまったので笑

また別の記事にしようと思います。


今回は母にカミングアウトした際の話です。


僕がFTMだと自認したのが中1の春。

そして母に伝えたのが中3の春でした。


この空白の2年間はなんだったのか。

僕は当初両親にカミングアウトしようとは微塵も思っていませんでした。

問題なく過ごせていましたし、カミングアウトする必要性を感じていなかったからです。


そんな僕がなぜカミングアウトしようと決意したのか。主に2つありました。

1,精神の限界   2,治療を進めたかった


1について。

2年間、誰にも打ち明けなかった僕。

小学生はそれほど男女の壁はなかったと前回の記事でも言いましたが、中学生になると急に壁ができたんです。


まず、制服。

僕の学校がブレザーだったのが救いか、これに関しては意外にも慣れていきました。

いや、嫌なのは嫌でしたけどね。


次に部活。

中学でもサッカー部に入部した僕。

幸いにも(?)同学年に奇跡的に女子がもう1人いました。

ですが体格差や試合会場のトイレ、着替えなど様々な面で男女の差を感じざるをえなくなっていきました。


そして人間関係。

僕の中学は4つの小学校から人が集まります。

僕の小学校から来た子は学年で4分の1以下。

ほとんどがニューフェイスでした笑

そこで驚いたのが男女間の距離。

男女間でかなり距離があるように感じたんです。


まぁそれは中3になるとだいぶ解消されますが。


そんなこんなで過ごした2年間はまぁキツかったです。

それらもあってか丁度中学生になってから頭痛持ちとなり、「死」という言葉が何度も頭をよぎりました。


とにかく、誰でも良いから僕の胸の内を誰かに聞いて欲しかった。

悩みは誰かに話すだけでも楽になる。とは良く言いますが、それを欲していたんだと思います。


2について。

トランスジェンダーは治療をすることで、より本来の性に近い身体に近づけることができると以前から知っていました。

 

それはホルモン治療や胸オペなど。

手術などしたことのない僕にとってはそれらは何だか遠い世界のことのようで、当初はあまり自分事として捉えていませんでした。


しかし、日に日に増していく身体への違和感と嫌悪感。僕はそこで治療の必要性を強く感じるようになりました。


でも、まずは精神科医に診てもらって診断書というものがいるらしい。

ではとりあえずクリニックに行ってみるのも良いのでは。

と考え母に伝えてみようと思った訳です。


長くなりましたがここまでがなぜカミングアウトしようと思ったのかという経緯です。



ここからは僕が実際にどのように母に伝えたのかという話になります。


直接、LINEで、電話で、手紙で…

様々な選択肢がありましたが、僕は手紙で伝えることを選択しました。


理由は本音を伝えると絶対に泣いてしまうという自信があったからです。

泣くと話せませんし、母がもし否定的な反応を示したときに動揺しない自信がなかったのです。


でも、母のことだから否定はしないだろうという謎の確信はありました。

それは本当のことだったのですが。


とにかく夜中に手紙を長々と書き、自分は男なんだ。今までこういうことがあって辛かった。

今後はこうしたいというようなことを書いた記憶があります。


そして平日の朝。

登校前に渡そうと決めていましたが、中々決心がつきません。数日渡せなかったです。


ですが意を決して手紙だけ渡し、突然の手紙に困惑している母をよそに自室に閉じこもりました。

なぜだかわからないけれど、涙が溢れて止まらなかったです。


そしてしばらくすると母が涙ぐんだような声で

「○○、開けて。」と言ってきて僕はしばらく渋りましたが後にドアを開け、母は抱き締めてくれました。


「何があってもあなたは私の子だから。」

そのような優しい言葉をかけられた気がします。

(そんな大事な言葉忘れるなって?笑)


とにかく母は偉大だとつくづく思いました。

母の中で多少の葛藤もあったとは思いますが、否定せずに受け入れてくれたのは当時の僕にとって大きな心の支えとなりました。


そして、母は幼少期の僕の言動からなんとなくそうなのかなーとは思っていたらしいです。

母凄し。


そんなこんなで母へのカミングアウトは無事に終わりました。

後にナベシャツ欲しい。と言えるくらいなので非常に助かっているし、伝えてよかったと思っています。