大河ドラマ「青天を衝け」は終了してしまいましたが💦
去年横浜で、渋沢栄一(吉沢亮)や、渋沢喜作(高良健吾)の足跡を何か所か辿ったので👣まとめました📝

【🧵旧生糸検査所】(現:横浜第二合同庁舎)
1859年(安政6年)に開港した横浜は🚢、👱👲外国商人達が生糸を買い求めて輸出が急増し📈、官営の🏛️富岡製糸場が造られたのはご存知の方も多いですね?🏗
その頃栄一の従兄の渋沢喜作が、同業者達と作ったのが、てんびん座生糸検査所
現在は、横浜第二合同庁舎として存在感ある建物ですが🏢
正面玄関の上にあるのは↓
🦋蚕蛾と🌿桑の葉と実を施しているらしく、生糸産業の名残りが伺えます🧵⚖️

喜作は1875年(明治8年)生糸貿易と生糸委托販売を営む渋沢商店を、現在の横浜市中区本町に創業しました。
しかし1889年には多額の損失を抱えガーンガーン、長男の作太郎に譲ることを条件に、栄一が借金を肩代わりして整理したのだそう。
(ドラマでも、自分は商才無かったような台詞がありましたね?)
また、喜作の五男、渋沢信一は🇪🇸スペイン大使、🇹🇭タイ大使など務めたそうです。


そして、第2合同庁舎からすぐ近く、現在の🏦みずほ銀行横浜支店は、元々
【💹旧横浜為替会社】で、現在は設立の碑が残るだけですか
1869年(明治2年)設立され、1872年には、渋沢栄一が制定した国立銀行条例に基づいて、第二国立銀行に組織変更しました。


そして、みずほ銀行沿いにある
🏛️【横浜開港記念館会館
栄一が日米の外交に尽力した👱‍♀青い目の人形の歓迎会、また🇯🇵日本から🇺🇸アメリカへ送られた「🎎黒い目の人形」の送別会が行なわれたそうです。
…が、ちょうどここに行った数週間前から改装工事🏗が始まってしまいガーンハッ、中には入れませんでしたえーん
1番行きたい所だったので残念〜!

あと数年前に入った、🏛️横浜開港資料館
若かりし頃の栄一達が🔥焼き討ちを、計画した元🇬🇧イギリス大使館でしたね?!


そしてみなとみらいのドックヤードガーデン
🚢【横浜船渠会社のドック跡地 】
今ではお店が集まり、撮影やイベント広場になっているここは……
開港した頃の横浜港には、まだ小さな桟橋のみで、🚢大型船は沖合に停泊し、🚣荷を積み替える必要があったのと
また、船の🔍検査や🏗補修するための近代的な港湾設備や、大型の倉庫なども整ってなかったため、栄一や原善三郎(はらぜんざぶろう)、横浜の財界人らは、埠頭やドック建設の要望を政府に提出し、明治24(1891)年に有限責任横浜船渠会社を設立
後に横浜船渠株式会社と改称、造船にも進出し、🚢氷川丸などを建造しました。
 

国際港⚓横浜は、他にも色々と関連施設ありますが、そろそろ買い物して帰ろうとしたところ
🏬Mark ISで東京ガスのショールームの看板を見かけたので、行ってみたら………

当たり前ですが滝汗、普通の🍳システムキッチンや🛀浴室のモデルルームで(笑)

入った手前、後戻り出来ず💦、一通り見て帰ると、出口に「青淵の世明け」という渋沢栄一の漫画がありました↓
そして、ちょうど一年前に行った東京ガスのアンコール展示会のお知らせがあり
(既に終了)

レトロ可愛い当時の🍚炊飯器(昭和33年)や

工業デザイナー柳宗理氏がデザインした、オシャレな🔥ガスストーブ(昭和31年)↓


ターンオーバー式🔥ガストースター🍞(昭和30年)など
が展示されていました。

栄一が🇫🇷パリへ行った時、街頭が🔥ガス燈で明るく照らされているのを見て、
まだ日本では、明かりは蝋燭🕯で、🍚お米も嫁が付きっきりで🔥窯の番をして焚いていた事と比べ、カルチャーショックを受け、日本のインフラ向上にと輸入に尽力したそうです。

…その後百年経ち、現在は🌍世界中でエネルギー供給について、大きな舵取りが迫られ
欧州ではカーボン・ニュートラルが叫ばれましたが、
現実問題、🌀風力、☀️太陽熱だけでは賄えず、燃料費が高騰したところに📈、今回の🇷🇺ロシア侵攻で、更に原油の供給源が難しくなりましたガーン

もちろん資源(原油)の無い日本も、毎日原油の高騰に振り回され😖
毎日の生活でも、エネルギーは直結する大問題で🚙バス車トラックゲッソリアセアセ

………個人的には、日本は🌋地熱エネルギーを使うのが1番良いと思うのですが………

日本は、無責任に原発一本化で、電力利権にがんじがらめになったうえ、安全管理にも、綻びが生まれ、11年前不幸な原発事故が起きてしまいましたよね………

地下熱(地中熱?)供給は、せっかく日本メーカーに技術あっても、政府はそれには支援せずちょっと不満、結局、同じ🌋火山島国の🇳🇿ニュージーランドや、🇮🇸アイスランドで、その技術を使っていると10年位前のテレビで見たことあります。

せっかく、エコな資源があっても、温泉業者との兼ね合いや、国が方向性を見せない限り、こういった事は難しいでしょうが、10年後、30年後の🇯🇵日本を良くするためにも、政治家には広く長い目で、本気で考えて欲しいものです。