昨日の米原万里さんの本📕
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」の、あらすじと感想の続き……


お母さんアーニャ(🇷🇴ルーマニア人)
インドのデリーで生まれ、北京で育ち、中国毛沢東に抱っこされた事もある、共産党要人の娘。
一度ブカレストに移ってから、プラハへ来た。

強烈な愛国主義者で、身近にいたら面倒くさそうな、虚言癖のある「嘘つきアーニャ」
でも、みんな許せてしまう愛らしいキャラクター?!

それは、矛盾を感じながら成長したからか?
また、コンプレックスからくるものなのか?

アーニャが
「チースタヤでないルーマニア人」という言葉に激怒したのは、やはり両親がユダヤ人だという事からきていたよう。

でもその後、
上の兄は、若くして党内で出世した愛国者(モスクワ大学ではゴルバチョフのクラスメート)
でも民族主義の壁にぶつかり、結局、イスラエルに亡命🏃‍♀️

2番目の兄もパリに出張した時に亡命し、その後アメリカへ移住。

3番目は、ルーマニアに留まりつつも、長い髭をたくわえ典型的なユダヤ人の風貌になっていたらしい。
(アントワープでたくさん見た!)

(サッカーユーロで敗れたベルギー代表の、カラスコの風貌は、もしかしたらそうかな……?なんて勝手に思った…でも毛深いだけ?(笑))

そしてアーニャはなんと、🇬🇧イギリスに留学し、出会ったイギリス人と結婚ウエディングドレス
ロンドンに住んでいる。

外国人との結婚が、法律で禁止されていたた当時のルーマニア🚫
その中で留学し、それも西側のイギリス人と結婚。

でもそれが出来たのも、父親がチャウシェスク政権の幹部だからこそ、特権中の特権らしい。

そして30年後、未だに特権階級を享受している親の過剰警備に対し
「ルーマニアのああいうところが我慢ならない。後進国で🇹🇷トルコみたい。ヨーロッパじゃない」
と言ってのけている(笑)

社会体制も変われば、考え方も変わるし
そうでなくても、人は変わるもの。
変化は進化でもあるし……。

私の友達夫妻が住んでいる、ロンドン北部の町にも、近所にはシナゴークがあった⛪

その町は日本人とユダヤ人が多いらしく
「JJ town(JewishとJapanese)」と呼ばれているとか(笑)


お母さん③ヤスミンカ🇧🇦(愛称ヤースナ)

成績優秀で、絵が上手くアート、冷静沈着な優等生。
父親は、15歳からパルチザンに入り
ユーゴスラビア連邦の在チェコスロバキア公使で、プラハに来る前はモスクワに駐在

万里さんが彼女に惹かれたのは、ヤースナ自身の魅力以外に、
当時の世界の共産主義の中で、左派に見られていた、日本共産党員の娘の万里さんが、
最右翼と思われたユーゴスラビア共産主義国のヤースナと、仲良いい事を回りに示したかったというのが、読んでて胸が熱くなった。

13歳の多感な少女達。

……でもこういった事は歳に関係無く、肌で感じるものだし
自分がマイノリティな立場というか、また自分ではどうにもならない事が原因だから、その疎外感はツライ……。

ちょっと話が逸れるけど、
前に鄭大世(サッカー元北朝鮮代表)が
「国は否定出来ない親みたいなもの。」と自分に言い聞かせ

チュンソン(李忠成)は昔、サッカーU19韓国代表に選ばれ、胸踊らせ韓国祖国の合宿に行ったら、
コミュニケーションは取れないし
「ハンチョッパリ(半日本人)」とやたら耳にして疎外感を感じ、悩んだ末、日本に帰化した。

確か、祖父が朝鮮籍、父親が韓国籍(それか逆)で、とにかく三世代の国籍が違う。

彼らもまた、自分の意に反して時代に翻弄された人達の子孫。


話をヤースナに戻すと………

彼女の祖国ユーゴスラビアは、多民族国家であり、
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」
と表現された複雑なモザイク国家

私は旧ユーゴスラビアオタクだった時期があり(特にサッカー⚽)

特にドラガン・ストイコビッチが表紙の↓「悪者見参」は、各共和国の立場がサッカー選手を通し、分かりやすく書かれていて、何度も何度も読み直した程。右下の「ユーゴ紛争」の著者は↑、
「赤旗」新聞のベオグラード駐在だった千田善氏で
後のイビチャ・オシムの日本代表監督時代の通訳。

ここに写っている本も、全部私のもので、旧ユーゴスラビアや地理、世界史に関するものは、他に文庫本等、実家に眠っているものもたくさん。だからユーゴスラビア人のヤースナの章「白い都のヤスミンカ」は、3人の中でも一番、想像力豊かに読みました。

…でも実は……旧ユーゴスラビア圏は、
私まだ、行った事ない(笑)アセアセ

万里さんは、ヤースナがベオグラード出身ということで、🇷🇸ベオグラードに探しに行ってみると……

ヤースナの両親は、🇧🇦ボスニアヘルツェゴビナ出身で、サラエボに移住したというハッ

つまりヤースナも、ボスニア・モスリム人。
無二の親友だった万里さんも
「彼女がモスリムなんて聞いたことないし☪️、絶対に信じられない」
と半信半疑。

でもベオグラードのモスクで知った事実は🕌
なんと!ヤースナの父おじいちゃん
ライフ・ディズダレービッチは、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国から選出された最後の大統領だった!

🇨🇿チェコスロバキア公使の後は、🇪🇬エジプト大使、🇨🇺キューバ大使を歴任し、大統領へ。

…○○ビッチが、こんがらがって、もうよく覚えてないけど(笑)、私の持ってる本を読み返せば、何処かで絶対に出てきていた人物👥

そして今(万里さんが訪ねた時)は、ご両親はサラエボで、戦況がどんどん激しく脱出不能になり、ガスも水道もない地下室で4年も生活しているという。

当時の⚽オシムも、息子の買い物にベオグラードに行ったら、急に紛争が始まってしまい、
それから2年以上、サラエボの家に帰れず、奥さんにもずっと会う事が出来なかった。(多分)

ヤースナの言う
「イスラム教は特に信じていないし、戦争になるまで自分がモスリムと思った事なかった🛐。
でもモスリムの両親から産まれ、それをわざわざ否定するのも馬鹿げている。

自分はずっとずっとユーゴスラビア人だと思っていた。

それが戦争が始まり、否応なく意識せざるを得なくなって、人間関係がおかしくなった」

これはオシムも同じ事を言っていたし、他の人達もきっと一緒。

ヤースナも、親友だったセルビア人達から距離を置かれるようになり、仕事も止めて毎日不安な日々を送っていた。

そして、ユーゴスラビア人は戦火を逃れる為に各国に亡命。

サッカー界では⚽
イブラヒモビッチ(🇸🇪スウェーデン)のように、親の世代はそれぞれの新天地へ。

オシムは戦争後に、🇦🇹オーストリアに帰化。

今、浦和監督のぺトロビッチもオーストリア国籍だし、
2008年サッカーユーロで最年長記録を作ったヴァスティッチも、オーストリアに亡命し、オシムとペドロビッチのもとで、選手として成長。

現日本代表監督のハリルホジッチや
ピクシーは🇫🇷フランスへ帰化。

………そうそう、リッツァが
「アランドロンはユーゴスラビア出身」と言っていて驚き👀‼

先日の合宿で、ハリルホジッチが山口蛍に向かって
「アランドロンみたいだな♪」と言ったという記事を思い出した(笑)

だからチュンソンのように、家族で国籍が違うのは日本人からしたら不思議でも、混血が当たり前の欧米では、別に不思議ではない事。

今回のサッカーユーロでも、クロアチアのサポーターが問題になっているように、国力が反映されやすいサッカーは、いつも予選からハラハラ……アセアセ
特にセルビアとクロアチア。

せっかく選手が頑張っても、ホンの一部の集団が、全てをダメにして、国民みんなに迷惑をかけてしまう。

……でも、あれだけテロを警戒しているフランスのスタジアムで、発煙筒とかチェック出来ないのかしら?!(笑)

それと国籍だけでなく、
サッカーインテルのスタンコビッチは、
1998年 フランスワールドカップでは、
宝石白ユーゴスラビア代表で出場
その後
宝石白セルビア・モンテネグロ代表
そしてモンテネグロも独立したので最後は
宝石白セルビア代表
・・・という、三カ国?・・・三種類の代表ユニフォームを着た、稀な選手。

サッカーFIFAは一度代表戦に出場したら、帰化しても他の国代表では出場出来ないので、
国が解体、独立、などない限り、彼のような経歴はまずない。

因みにイギリスプレミアの札束コインたちチェルシーのオーナー
アブラモビッチは、ユダヤ系ロシア人
……やはりユダヤの商才があるのかしら?

また話が逸れたけど、ヤースナの話を、過去に読んだ本に照らし合わせて読み直したい気分。

……あとエミール・クストリッツアの映画も🎬

長々と、ご精読下さった方(いるかな?(笑))、どうもありがとうございました。