先月、新聞の新刊欄に載っていた
井上ユリさん著
「姉・米原万里~思い出は食欲と共に~」
それを見る数日前に、りょこさんが購入したとブログで書いていたのと
その他の米原万里さんのエピソードも気になり本屋へ
でも見当たらず、私が本屋で購入したのはこちら↓
これは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作だから、勿論ノンフィクションなのだけど、
まるで小説のように面白く、あっという間に読破。
もぉ…………私、何でもっと早く読まなかったんだろう~?!
米原さんの文才もさることながら、それぞれの人生が、激動の時代に翻弄されたもので、彼女達のその後が気になって仕方なかった。
ちょっと舞台はズレるけど、宮本輝の「ドナウの旅人」を思い出した。
そして読み終わってから、興奮冷めやらぬ中、また再読(笑)
すると更に面白い。
米原万里さんの本というと、
「ロシアは今日も荒れ模様」を買ったことがあるだけ。
………それも、時間がある時に読んだ程度で、特にハマるエッセィという感じでは無かった記憶が……(あくまで私は)
でも今回は、万里さんの他の本も、俄然読みたくなるほど面白かった!
舞台は、1960年~1964年のチェコスロバキアの首都プラハ。
万里さん一家が帰国してから、彼女たちとはいつしか疎遠になり、消息も分からないまま、時は過ぎ……
その30年後に、万里さんにNHK-BS「世界わが心の旅 」の番組オファーがあり、様々な情報を辿り、その3人を訪ねていくという記録。
この30年の間には東西冷戦も終わり、ソ連は解体。
この学校があったチェコスロバキアも2つに分かれ
中、東欧、バルカン半島も国の形が大きく変わったし、ECはEUへ。
更にそれから20年経ち
現代、独立した旧ソビエト圏も、EUROに続々加盟。
そして先月は、なんとイギリスがEuroを離脱!
…もしかしたら、ソ連解体➡旧ユーゴスラビア解体のように
EUROも分裂しかねない予感……
以前、オバマ大統領が
「東ドイツ出身の女性が、統一ドイツの首相になることを、誰が想像しただろう?!」
「アフリカ系アメリカ人が、大統領になることを想像出来ただろうか?!」
みたいなことを言っていて、これは進歩的に好転した出来事だったけど
これから先、21世紀が悪い方に拗れないといいけど………
特に、我々の東アジアも
本の最初の舞台、1960年代はまだ私、生まれてないし(笑)
未だにチェコも、スロバキアも私は行った事無い。
友達の結婚式でウィーンに行った時、
スロバキアの首都、ブラスチラバに行きたいと言ったら、彼女の旦那さんに
「(プラハと比べると)見る所、そんなに無いし、スリも多いし、女性がわざわざ一人で行くほどでは…」
と言われたので止めてしまった。
でもその数年前、モンゴルに行った時、
ゲルのあった国立公園の中のシャワーが、もう幻となった国、チェコスロバキア製だった
一応温水は出たけど、チョロチョロで水圧は無く、
漏電というか、感電が怖かった思い出が………(笑)
モンゴルも考えてみたら社会主義だったし、大国ロシアと中国に挟まれている
流石、ユーラシア大陸にあり、東というか、赤い国を感じた出来事(笑)
……本の内容からずれてしまったけど
3人の家族が、頭の中でゴチャゴチャしてるので、ちょっと整理
……長い独り言なので、スルーして下さい。
①リッツァ(ギリシャ人)
両親は、軍事政権のギリシャから、東欧を転々とし、チェコスロバキアに亡命。
兄がいて、兄はユーゴスラビア、リッツァはルーマニアで生まれた。
まだ行った事のない、祖国ギリシャをいつも夢見て
「空は、抜けるように青く美しいのよ!」といつも誇らしげにギリシャ自慢をしていた明るい女の子
そして30年後に再会した彼女がいたのは、リッツァの夢見たギリシャでなくドイツ。
軍政が打倒した後、夢の祖国ギリシャに行ってみたら、素晴らしいのは本当に空だけで、
「私はヨーロッパ文明の中で育った人間だった」(だからギリシャは無理)
と語っていたのが印象的。
日本人からすると、ギリシャのイメージは「ギリシャ神話」「世界遺産」など…
ヨーロッパ文明の発祥の地
そしてEUROにも加盟していて……
ギリシャ危機では、みんなに迷惑かけていた(笑)
もちろんそれは合ってるけど、実際行ってみると、後進的ヨーロッパというか……
私がギリシャに行ったのは、ユーロ加盟後だったけど、1月だったせいもあり寒く、空はそんなに青くなく(笑)
オマケに泊まったホテルの周辺に、ロシアのお店が多く、
町に溢れるキリル文字(ギリシャ語)とオーソドックスの正教会のせいか、西欧とはちょっと違う雰囲気。
でもまたそれが、とても雰囲気があって好き。
あとギリシャ料理は、トルコ、レバノンなどとの違いが、私には名前が違うだけ?と思うので、中東というか
「バルカン半島ってこうなんだ~?!」と思ったのがギリシャの感想。
私が昔、シドニーで働いていた、宝石店のオーナー家族もギリシャ移民
リッツァの両親と同じ時代か?
ナチスに侵略されていた時代か?
映画「Touch of spice」の時代か?
どの時期にギリシャを出たのか、
当時の私の英語力が低かったので、よく分からなかったけど(笑)
彼らはギリシャから、南アフリカのヨハネスブルグに移住し、子供たちを育て、それからオーストラリアに移住していた。
だから、子供達(…といっても、みんな私より一回り以上歳上)は、ギリシャでは育っていないけど、
いかにギリシャが素晴らしい国かを、事あるごとに私に説いていたし(笑)
子供は、ギリシャ正教会で洗礼を受け、
シドニーのギリシャ学校に通わせていた。
そして、リッツァと同じように子供には祖父母の名前を付けていたり……
でも、ギリシャには年に一度、1ヶ月親戚を訪ね、ホリデーで行くだけで、生活はオーストラリア。
オージーの悪口もよく言っていたけど、オーストラリアには、大きなギリシャコミニュティがいくつもあり、生活は快適。
それを表す数字が……
世界中で一番ギリシャ人人口が多いのは、ギリシャの首都のアテネ。
でも、2番目にギリシャ人が多いのは、ギリシャでなく、オーストラリアのメルボルン。
今度、ジュピロ磐田に移籍してきた元ギリシャ代表のパパドプーロスは、オーストラリアのメルボルン生まれの二重国籍。
(だからギリシャ代表だったけど、ジュピロにはアジア枠で加入)
話が随分脱線したけど、リッツァの苗字もパパドプーロフ。
リッツァの話を読んでいる間、ずっとそのシドニーのギリシャ人家族が頭に浮かんでいた。
はぁ………
私の独り言にお付き合い下さった方、ありがとうございました
つづく(笑)
井上ユリさん著
「姉・米原万里~思い出は食欲と共に~」
それを見る数日前に、りょこさんが購入したとブログで書いていたのと
その他の米原万里さんのエピソードも気になり本屋へ
でも見当たらず、私が本屋で購入したのはこちら↓
これは、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作だから、勿論ノンフィクションなのだけど、
まるで小説のように面白く、あっという間に読破。
人気作なので、読んだことある人も多いはず。
もぉ…………私、何でもっと早く読まなかったんだろう~?!
米原さんの文才もさることながら、それぞれの人生が、激動の時代に翻弄されたもので、彼女達のその後が気になって仕方なかった。
ちょっと舞台はズレるけど、宮本輝の「ドナウの旅人」を思い出した。
そして読み終わってから、興奮冷めやらぬ中、また再読(笑)
すると更に面白い。
米原万里さんの本というと、
「ロシアは今日も荒れ模様」を買ったことがあるだけ。
………それも、時間がある時に読んだ程度で、特にハマるエッセィという感じでは無かった記憶が……(あくまで私は)
でも今回は、万里さんの他の本も、俄然読みたくなるほど面白かった!
舞台は、1960年~1964年のチェコスロバキアの首都プラハ。
各国共産党代表の子息が通う、ソビエト学校での、万里さんの同級生、3人のそれぞれの、平坦とはいえない人生の物語
万里さん一家が帰国してから、彼女たちとはいつしか疎遠になり、消息も分からないまま、時は過ぎ……
その30年後に、万里さんにNHK-BS「世界わが心の旅 」の番組オファーがあり、様々な情報を辿り、その3人を訪ねていくという記録。
この30年の間には東西冷戦も終わり、ソ連は解体。
この学校があったチェコスロバキアも2つに分かれ
中、東欧、バルカン半島も国の形が大きく変わったし、ECはEUへ。
更にそれから20年経ち
現代、独立した旧ソビエト圏も、EUROに続々加盟。
そして先月は、なんとイギリスがEuroを離脱!
…もしかしたら、ソ連解体➡旧ユーゴスラビア解体のように
EUROも分裂しかねない予感……
以前、オバマ大統領が
「東ドイツ出身の女性が、統一ドイツの首相になることを、誰が想像しただろう?!」
「アフリカ系アメリカ人が、大統領になることを想像出来ただろうか?!」
みたいなことを言っていて、これは進歩的に好転した出来事だったけど
……メルケル首相は、もうドイツというか、EUの顔だし(笑)
これから先、21世紀が悪い方に拗れないといいけど………
特に、我々の東アジアも
本の最初の舞台、1960年代はまだ私、生まれてないし(笑)
未だにチェコも、スロバキアも私は行った事無い。
友達の結婚式でウィーンに行った時、
スロバキアの首都、ブラスチラバに行きたいと言ったら、彼女の旦那さんに
「(プラハと比べると)見る所、そんなに無いし、スリも多いし、女性がわざわざ一人で行くほどでは…」
と言われたので止めてしまった。
でもその数年前、モンゴルに行った時、
ゲルのあった国立公園の中のシャワーが、もう幻となった国、チェコスロバキア製だった
一応温水は出たけど、チョロチョロで水圧は無く、
漏電というか、感電が怖かった思い出が………(笑)
モンゴルも考えてみたら社会主義だったし、大国ロシアと中国に挟まれている
流石、ユーラシア大陸にあり、東というか、赤い国を感じた出来事(笑)
……本の内容からずれてしまったけど
3人の家族が、頭の中でゴチャゴチャしてるので、ちょっと整理
……長い独り言なので、スルーして下さい。
①リッツァ(ギリシャ人)
両親は、軍事政権のギリシャから、東欧を転々とし、チェコスロバキアに亡命。
兄がいて、兄はユーゴスラビア、リッツァはルーマニアで生まれた。
まだ行った事のない、祖国ギリシャをいつも夢見て
「空は、抜けるように青く美しいのよ!」といつも誇らしげにギリシャ自慢をしていた明るい女の子
そして30年後に再会した彼女がいたのは、リッツァの夢見たギリシャでなくドイツ。
軍政が打倒した後、夢の祖国ギリシャに行ってみたら、素晴らしいのは本当に空だけで、
「私はヨーロッパ文明の中で育った人間だった」(だからギリシャは無理)
と語っていたのが印象的。
日本人からすると、ギリシャのイメージは「ギリシャ神話」「世界遺産」など…
ヨーロッパ文明の発祥の地
そしてEUROにも加盟していて……
ギリシャ危機では、みんなに迷惑かけていた(笑)
もちろんそれは合ってるけど、実際行ってみると、後進的ヨーロッパというか……
私がギリシャに行ったのは、ユーロ加盟後だったけど、1月だったせいもあり寒く、空はそんなに青くなく(笑)
オマケに泊まったホテルの周辺に、ロシアのお店が多く、
町に溢れるキリル文字(ギリシャ語)とオーソドックスの正教会のせいか、西欧とはちょっと違う雰囲気。
でもまたそれが、とても雰囲気があって好き。
あとギリシャ料理は、トルコ、レバノンなどとの違いが、私には名前が違うだけ?と思うので、中東というか
「バルカン半島ってこうなんだ~?!」と思ったのがギリシャの感想。
私が昔、シドニーで働いていた、宝石店のオーナー家族もギリシャ移民
リッツァの両親と同じ時代か?
ナチスに侵略されていた時代か?
映画「Touch of spice」の時代か?
どの時期にギリシャを出たのか、
当時の私の英語力が低かったので、よく分からなかったけど(笑)
彼らはギリシャから、南アフリカのヨハネスブルグに移住し、子供たちを育て、それからオーストラリアに移住していた。
だから、子供達(…といっても、みんな私より一回り以上歳上)は、ギリシャでは育っていないけど、
いかにギリシャが素晴らしい国かを、事あるごとに私に説いていたし(笑)
子供は、ギリシャ正教会で洗礼を受け、
シドニーのギリシャ学校に通わせていた。
そして、リッツァと同じように子供には祖父母の名前を付けていたり……
でも、ギリシャには年に一度、1ヶ月親戚を訪ね、ホリデーで行くだけで、生活はオーストラリア。
オージーの悪口もよく言っていたけど、オーストラリアには、大きなギリシャコミニュティがいくつもあり、生活は快適。
それを表す数字が……
世界中で一番ギリシャ人人口が多いのは、ギリシャの首都のアテネ。
でも、2番目にギリシャ人が多いのは、ギリシャでなく、オーストラリアのメルボルン。
今度、ジュピロ磐田に移籍してきた元ギリシャ代表のパパドプーロスは、オーストラリアのメルボルン生まれの二重国籍。
(だからギリシャ代表だったけど、ジュピロにはアジア枠で加入)
話が随分脱線したけど、リッツァの苗字もパパドプーロフ。
リッツァの話を読んでいる間、ずっとそのシドニーのギリシャ人家族が頭に浮かんでいた。
はぁ………
私の独り言にお付き合い下さった方、ありがとうございました
つづく(笑)