ドタキャンをたいした問題とみなしていない | kyupinの日記 気が向けば更新

ドタキャンをたいした問題とみなしていない

ドタキャンとは昔はなかった言葉で、土壇場+キャンセルの融合した言葉である。現代社会では急に変更しても良いものと、そうでないものに分かれる。

 

医療で例を挙げると、アルバイトの当直。

 

まだ若手医師だと、外の病院のアルバイト当直は這ってでも行くべき仕事で、もし急用で行けなくなった時は、代わりの医師に頼んでも収拾すべきである。

 

ある日、患者さんと話していた際、ドタキャンを全く重大視していないことに気付いた。あるアルバイトの仕事で、当日、現場に行かなかったらしい。

 

その後、相手(雇用主)がカンカンに怒っていたらしく、その患者さんはなぜなのか問うた。本人はアルバイトなのでさほど重大なドタキャンではないと思ったのかもしれない。僕は、

 

仕事を受けた以上、何も連絡せずにすっぽかすのは社会人として許されない。

 

と答えた。アルバイトとはいえ、大抵の人は同じように言うのではないかと思う。

 

その後、同じような事件が起こった。ある日、カウンセラーの治療を受ける日に行かなかったと言うのである。つまりドタキャンである。本人はうっかりしていたわけではなく、行く気にならなかったため行かなかったという。

 

後日、カウンセラーからその日の治療費を請求されたのだが、本人は治療を受けなかったのに料金を請求するのはおかしいと言い怒っている。

 

僕は、貴方がその時間、ずっと前からキャンセルの電話をしておけば、そのカウンセラーは、他の患者さんの予約を入れられたかもしれない。だから、料金を請求されても仕方がないと伝えた。

 

これはおそらくドタキャンした時、相手がどのように感じるのか想像できないことから来る。

 

自閉性スペクトラムの人たちが全てそうとは言えないが、その人は同じような事件が断続的に起こっており、社会的困難さを生じさせる大きな症状の1つとなっている。

 

ことあるごとに説明しているが、僕が言うことに反発することなくじっと聴いてくれている。僕が言っていることが概ね正しいことが本人にはわかっており、結構信頼されているからである。

 

しかし悲しいことに、ちょっと形が変わった局面で応用できないのである。

 

参考

下宿屋のオバちゃん