ピアニストを撃つな | kyupinの日記 気が向けば更新

ピアニストを撃つな

昨年の話だが、ラピッドサイクラーの女性患者さんが僕の病院に飛び込みでやってきた。彼女は既にそこらの病院では特別な存在とされていて、頼んでもいないのに怪文書も病院に送られてきたのである。いかにやりにくい患者かが書かれていたのだが、ひとことで言うと、「その患者を治療しても何も良いことがない」と言った内容であった。治療しても仕方がないと訴えているので、これまでの彼女の武勇伝が伺えると思った。

僕が初診した時はそこまで変な患者には思わなかった。ただ、彼女は薬を信用しておらず、服薬があてにならないだろう、くらいは言えた。双極性障害だったし、ラピッドサイクラー(急速交代型)でもあったので、当初はデパケンRで治療を始めた(参考)。ところがたまたまだろうが、すぐにうつ転して亜昏迷もようになったのである。仕方なくアンプリットくらいを併用していたが、その亜昏迷が思うほど改善しないので入院を薦めてみた。これは怪文書によれば、「最もしてはいけないこと」とであった。

しばらく外来で診ていた時、僕は既にデパケンには見切りをつけていた。彼女はラピッドサイクラーではあるが、デパケンでのコントロールは難しそうに思われたからだ。彼女は病前性格的にはリーマスが良さそうに見えるし、デパケンを使わないなら、まずはリーマスしかない。

リーマスは、一応、双極性障害では最も信頼できるエビデンスのある薬物である。しかし、僕はリーマスを最初から使うことが少ない。その理由をこのエントリで書いていきたい。

彼女の治療だが、リーマスをもう中毒域突入に近いほどまで増量していくと、亜昏迷が消失し、気分の上下の波もほとんどなくなり、ずいぶん良くなってきたのである。おまけにあれほど薬嫌いだったのに、リーマスは副作用がないと気に入ってくれた。

基本的にリーマスは過小評価されすぎていると思う。なぜこうなるのか、理由が2つある。1つは効果発現が抗精神病薬に比べ遅いこと。激しい躁状態の場合、早いうちにリーマスを入れても手ごたえがなく、抗精神病薬の方がはるかに良いように見えるからだ。もう1つは、きちんと中毒域ギリギリまで投与せず、中途半端な処方になり不十分な効果しか得られないままリストラされていることもある。今回の彼女の場合も、誰か中毒域までリーマスを使っていれば、こんな人生にならなかった。

このブログを見ている人の中では、「リーマスの中毒域まで」とか書くと腹を立てる人もいるかもしれない。僕の脳内ではリーマスはそれ自体、神経毒もいいところの薬物とみなしているのである。リーマスは治療域、中毒域が設定してあるが、あれは便宜的に言っているだけで、リーマスには治療域も中毒域も本質的にはない。だって、ちょっと飲んだだけで振戦の副作用が出ている人もいるだろう。あれが中毒でなくて何なんだと言いたい(神経毒と言う意味)。リーマスは用量を上げていくと次第に振戦や下痢などの副作用が出始め、大量服薬などをすると意識障害、複視、痙攣発作なども出現する。

リーマスが神経毒性が大きい理由の1つとして、リチウムがあまりに小さな金属ということがあると思う。原子番号はたったの3だ。昔、高校の科学では小さな原子番号の金属は不安定だと習った。ナトリウムでさえ非常に不安定で空気中に放置もできない。

しかし、リーマスは神経毒でありながら、まだ飲みやすい毒なのである。ずっと飲んでいたから神経がどうなったというのがさほどない。現在でも普通に長く服用している人たちが世界中にとてつもなく多くいる薬物の1つだ。そういう見地から、リーマスをいったん中毒域ギリギリまで持って行き、後で少しだけ減量して単剤治療が可能なら、リーマスを使わない複雑な処方よりはるかにマシとは言える。

また、リーマスはいわば剛速球投手みたいなものだ。(しかもノーコン←重要)

患者さんにより当たりはずれがあって、合う時はこれは何なんだ?という感じで良くなる。調子がよい時は先発で完封勝ちできるのである。あまりにもうまくいく人がいる一方、不発という場合があるし、こういう薬だから副作用で続かない人ももちろんいる。

リーマスを避けたい理由は本当は別なところにある。若い女性患者さんがリーマスでうまくコントロールできたとしよう。彼女は結婚して出産できるのかという問題がある。なぜなら、日本では妊娠時はリーマス禁忌となっているからだ。ということは、妊娠中はリーマスを止めなくてはならない(参考)。これは電気製品で言えば、アフターサービスが全くなってないのとなんら変わりがない。

そのようなことから、少なくともリーマスの代替治療として何か良い方法を用意しておきたいというのはある。良好なコントロールができる他の薬物治療が可能ならその方が良い場合だってある。例えば双極性障害への抗精神病薬治療はいろいろ批判されているが、非定型抗精神病薬は催奇形性に関していずれもCなので悪いことばかりではないことを指摘したい(参考)。

もう少し曖昧で繊細な問題もある。僕が今、治療している男性患者さんだが、建築物のインテリア関係の仕事をしているが建築士のように創造性を非常に必要としている。そういう人に、安易にリーマスを処方して良いのか?という問題がある。

リーマスは、そういう才能を損なうところがあるから。リーマスは芸術、創造性にかかわる仕事の人々には向いていない。この点からも、リーマスのファジーな神経毒性がうかがえるような気がする。ところで、芸術性といえば同じ気分安定化薬のテグレトールは絶対音感が狂うらしい。しかもいったん狂えば恒久的に戻らない危険性もあると言う。こういう「神経の興奮を抑える系」の薬物は芸術とか創造性の人々に向かないのかもしれない。絶対音感が狂う薬物として他にフラベリックもそうだという。このテグレトールとフラベリックは音楽系の人たちは是非避けたい。リーマスは絶対音感について、そこまでは言われていない。しかしもう少し広い意味で芸術性を損なう感じはする。

リーマスはあくまで直線的な薬物で、ファンタジスタではないのである。

僕はもう1人、彼はアマチュアバンドのギタリストなのだが、リーマス(およびテグレトール)を避けて治療している。彼は作詞、作曲も担当しているらしくうまく創作できなくなるくらいなら、死んだ方がマシと思っているかもしれない。アマチュアとは言え、何か患者さんの大切なものを犠牲にして治療するというのが嫌なのだ。それしかないならともかく。

双極性障害は、場合によれば職を失い、人生を台無しにしかねない疾患である。上に繊細な問題点を挙げたが、そのような悠長なことを言っていられないこともある。だいたい芸術性がどうこうと言っているが、ほとんどの患者さんは芸術、創造と無縁の環境で生活しているからである。

ここで、最初の文章に戻るのであった(リーマスは過小評価されすぎている)。


(「ピアニストを撃つな」はエルトン・ジョンのアルバムから)