ハルシオン | kyupinの日記 気が向けば更新

ハルシオン

一般名;トリアゾラム
ハルシオンは販売元のアップジョンにより名づけられた商品名で、波の静かな海に巣を作るハルシオンバード(かわせみ)ちなんだ名前であるらしい。当時、ハルシオンのパンフレットには、伝説的でちょっと見慣れないような鳥が描かれていたのを思い出す。本邦では1984年に発売。当時はこのように切れがよく、なおかつ翌日への持越しがない眠剤は他になかったので、爆発的に処方されていた。発売当時は剤型は0.25mgと0.5mgが発売されていたが、臨床的に多すぎると考えられ、後に0.125mgと0.25mgに剤型変更された経緯がある。

僕が1997~8年頃に、2chの病院医者板に来た時、ほとんどの住人がかつて0.5mg錠が存在したしたことを知らなかった。いろいろなやりとりから、あの板にはあんがい学生が多いことを感じたものだ。このハルシオンに限らず、アリセプト、小柴胡湯での議論でも同じような展開になったこともある。つまり、考え方が実際の臨床的ではなく教科書の学習レベルなのである。ハルシオンはアップジョンが扱っていたが、現在は大日本住友製薬とファイザーが販売している。今でも、添付書的には「高度の不眠の場合」は0.5mg投与してよいことになっている。僕が大学を卒業した頃は、既にハルシオンは発売されていたので、よくハルシオンを処方した記憶がある。僕のオーベン(指導医)はハルシオンとデパスの処方が好きだったので、彼の処方を真似したのもあった。今はほとんどしないけど、寝る前にハルシオン0.25mgとデパス2mgを処方するのである。今考えると、この2つはかなり半減期が短くてともに記憶障害(健忘)が出やすい組み合わせになっている。

発売当時、内科や外科など一般の科でもネコも杓子もハルシオンが処方されていたので、全体の眠剤におけるシェアが40%程度まで至った。1990年当時、僕はある1000床ほどの総合病院で働いていたが、なんと病院全体でハルシオンが毎月2万錠処方されていた。僕たち精神科医師はそれほどは処方していなかったので、明らかに他科の処方であった。ハルシオンの半減期は2~3.5時間くらいで当時の眠剤では最速といえた。

ハルシオンの問題がクローズアップされて来たのは、1991年の夏からであった。当時、ニューズウイーク紙は、ハルシオンにより他人への敵意が昂じたり不安を煽るような有害作用の危険性に言及し、安全性に疑問を投げかけた。実際に、殺人事件の原因のように見えるものもあったからだ。ハルシオンに限らず、ベンゾジアゼピン系の眠剤や抗不安薬には、奇異反応という有害作用があるのが知られている。これは、本来ベンゾジアゼピンには不安や恐怖感を押さえる効果があるのだが、稀に、恐怖感、焦燥感、敵意、怒り、攻撃性などが出現することをいう。アメリカでは、ハルシオンを服用して母親を射殺したなど奇妙な事件が起こっていた。その当事者は裁判では不起訴や無罪になっていた。(日本の事件ではわりと有罪になっている) オランダでは、1979年にハルシオンの奇異反応などについて既に発表がなされており、事件も起こっていないのに大騒動になり発売中止になってしまった。

1991年10月、イギリスBBCは「ハルシオンの悪夢」という番組を放映。ハルシオン記憶障害があるだけでなく、メーカーのアップジョンが承認申請に際して提出したデータがでっちあげだったと報じた。この放送以後、ハルシオンはイギリスや北欧で販売停止となっていったのである。(その後、アップジョンはBBCを相手取り名誉毀損で裁判になっている)

また、ハルシオンはアルコールと一緒に飲用するなど、睡眠薬遊びに使われたりと悪用されることが多かった。当時、病院からハルシオンが横流しされたり、泥棒に入りハルシオンが盗まれるような事件がみられた。ハルシオンは1錠、当時でも20円くらいだったが、バブル時代、1シート10錠で2万円くらい取引されていたらしい。なんと100倍である。どういういきさつがあったかわからないが、そのような事件があったのにもかかわらず日本では発売停止にならなかった。これがアメリカとの(円満な)貿易関係に関係あるのか僕はよくわからない。ハルシオンはこのようにいろいろ問題が取りだたされていたが、ロヒプノールのように2種にすら入れられていない。(ロヒプノールの項参照)そんな歴史があるハルシオンは、今でもそこそこ処方されている超短時間作用型の眠剤なのである。僕はハルシオンは、健忘の副作用は他のベンゾジアゼピンよりは多いと思うが、奇異反応はそう多くみられるものでもないと思っている。ただ記憶があいまいのまま、よくわからない、思わぬことをする可能性があるので近年は外来ではあまり処方していない。強い薬物ではあるので、入院患者で不眠が強い患者には今でもそこそこ処方している。

一度、こんなことがあった。ある患者さんが病院内で自殺した。それは奇妙な自殺で、なんとドアノブの高さで首を吊っていた。人の腰の高さくらいで吊っていたのである。そのような自殺は非定型縊首と呼ばれる。その患者さんはうつ状態はあったが、死にたいとなどと言ったことはほとんどなかった。統合失調症でもあり予想外の自殺はありえるので、そんな風にいったん終わっていた。しかしその患者さんは長い入院期間があったし、その後カルテを調べてみた。すると奇妙なことにハルシオンを短期間服用した時のみ、普段と違った行動が見られていたのである。夜間、トイレで行ったり来たりしていたとか。あるいは自殺のそぶりだとか。つまりハルシオン服用時のみ何かが開放されて、自殺の誘惑が生じているようなのだ。しかも起きた時に憶えていない。昼間の状態は大丈夫なのである。この亡くなった患者さんとハルシオンとの因果関係がこの時までわからなかった。これでさえ因果関係があるといってよいかどうか微妙だ。長期に検証すると、かかわりがあるようにも見えるといったところ。

この事件以来、僕にとってのハルシオンはちょっとわからない薬箱に入れてしまったので、今では僕は精神科医ではあまりハルシオンを処方しない方に入る。というか、そんな気があまりないのに、魔法のように自殺してしまうんじゃ、うつ状態の人には処方し辛いでしょ。アモバンはハルシオンと同じく比較的短期型の眠剤だが、健忘の副作用が少ないように見える。アモバンは苦いし、マイスリーは統合失調症やうつ病に使えないし、まともな短期型ってレンドルミンしかないじゃないか、と言いたい。ハルシオンは他の眠剤に比べ健忘はいくらか多いけど、とても困るほどではないという感覚が今ではある。かつての自殺さえ、あれ以後同じようなことを見ることがないので、あんがい奇異反応と呼べるほどのものは稀なのかもしれないと思うようになっている。しかし、あの亡くなった人を尊重するなら、どうしても優先順位はあとになってしまう。僕にとって、ハルシオンはそんな薬なのである。