それからは余震がたびたびあり落ち着かない毎日ですが、ニュースで見る被災地を考えると自分は恵まれすぎた生活をしていると思い気が引き締まります。

友人たちが宮城に住んでいて、数日後に連絡がつき無事が確認できました。
何か送りたくても宅配便は止まっているので無理でした。

ひとまずは、と夫婦でそれぞれ募金をしました。
物資の支援も、家にあるものを送りたかったのですがちょうどおむつが切れていて息子の分を1パック買うとお店の棚がなくなりました。
おむつは工夫すればなんとかなるものですが、ミルクを飲む赤ちゃんはどうしているんだろうと考えると自分の子どもたちの小さい頃を思い出し「同じ日本に生まれた子どもなのに」と胸が苦しくなります。

早く避難所での食事などが安定して提供されるようになって欲しいと願っています。
「がんばれ」じゃなく「がんばりましょう(一緒に)」と言い合える日本・・好きです。


私の住んでいるところは地震の被害が少なかったのですが、放射能の問題もあり母として強くいなければなりません。
冷静に情報を取り入れ対処していきたいと思います。

行方不明の方々が、早く家族に会うことができますように。
お友達の家に娘を引き取りに行くと、お菓子をご馳走になっていてまだ遊びたがっているからそのままでどうぞと言ってくれたので夕方までお願いすることにしました。

最近帰宅後は好きなDVDを見る息子くん。当日も「テレビをつけてー」といいますがまだ停電は続いているのでできないと言っても怒りきいてくれません。
非常時だからお菓子をあげてごまかし、明るいうちにとお湯をわかしポットに入れ電池や明かりのつくものを集めました。と同時に、非常袋も玄関にセットしまた大きい揺れが来たらいつでも逃げられるようにスタンバイです。

夕方娘が戻ってくるとどんどん暗くなり、ミニライトの小さな明かり(懐中電灯紛失・・)ですごしていても寂しいのでラジオをつけることに。
普段は夫の部屋でコンセントを入れてデジタル時計なのですが、電池でも動くのでいざセットするもなんと、壊れていましたガクリ

携帯の充電もギリギリだったところで停電になったので、ようやくつながった電話で主人と無事を確認しあうともう充電が切れてしまいました。(主人の会社は都内で停電しませんでした)
主人の会社はちょうど忙しい時期なのと、帰宅しても道路は大渋滞で信号もとまっているしと車中泊することにしたそうです。

その日の夜は残っていたご飯、カップラーメンで簡単に食べました。
電子レンジも使えないので、冷たいおかずを食べると冷えそうで・・・ううっ...

夜の暗い中でもいつもどおりはしゃぐ息子くん・・・「暗くてこわい!」とひっついてくるかと思いきや普段どおりでした。しかし暗いので家具にぶつかったりつまづいたりで危ないし、灯してあるろうそくをいたずらしようとするので気が気じゃありませんでした。

ろうそくをあきらめ、娘息子と3人で布団に入りました。
ラジオも聞けず、携帯も使えないので被災地の状態がわからずに心配でした。
暗い中また地震があったら2人連れて逃げられるのか・・・という不安もありドキドキしていましたがひとまず寝ました。

22時前に明るさに気づいて目がさめました。電気が復旧したのです。
電気のありがたさに感謝し、携帯を充電してネットを見ると大変な地震だということがわかり驚きました。

その日は朝方まで眠ることができず、どんどんニュースで伝えられる情報に震える一夜を過ごしました。
昨日の続きです。

お友達のおうちで「すごく揺れたよ~」ってのんきにしている娘を見てほっとしました。
娘を引き続き預かってくれると言うのでお言葉に甘えて、保育園にいる息子を迎えに行きました。

途中にパートに行ってる会社があるのですが、会社の人も避難して外に出ていました。
長さがある品物をたくさん立てかけているので「品物崩れて汚しませんでしたか?」とたずねると
大丈夫ということでほっとしました。
「怖いね~電話もつながらないし外出した人心配・・」なんて話していたらまた大きな地震が来ました。。。
近所の人も外に出ていたのであたりがどよっとしました。
会社にとめてある2トントラックが、勝手に動き出すくらいの揺れで・・怖かったです。
空には空港に着陸できず低空飛行する飛行機が見え、変な雲も出てきました。
異様な光景を見つめぼーっとしましたが、息子を迎えに出発しました。


停電になってしまったので暗くてシーンとした保育園の玄関・・「大丈夫!?」と心配になり急ぐと
一番広い部屋で園児さん全員と先生方で避難していました。
息子は一番小さいクラスの1歳児クラスですが、普段ふざけたり好きなところへ歩いて行っちゃう子はおらずじっと座って待っていました。
先生は「とても皆おりこうにして待っていますよ」と言って息子を連れてきてくれました。
先生方も皆家庭があったりするのに、安全を守ってくれて本当に感謝しました。

クラスのほかのお友達のお母さんは職場から帰ってこれるのか?と心配になりましたが、今日はお休みとのことで安心しました。
あとで聞きましたがやはり都内でお勤めの方は、帰宅難民になりお迎えが深夜になったそうです。
しかし、皆怪我もなくよかったと先生方が言っていました。

また強い揺れが来ると怖いので、息子をおんぶ(体重は12キロ超えてます・・)しママチャリをこぎ帰宅しました。

またまた続く。
前回記事の続きです。

自宅前の信号も止まっていたので「娘は無事に渡れたかな・・」と心配しました。
と同時に「マンションのエレベータに閉じ込められていないか」と心配にもなりました。
自宅前の横断歩道まで来ると、娘の同級生の子達がいたのですが「(娘)ちゃん、先に帰ったよ」とのことです。血の気がサーっと引くのを感じながらも、その子達を横断歩道渡らせないとと手旗信号で誘導しました。
そのうち一人の子が同じマンションに住む子でしたのでオートロックを開けているとその子のお母さんが「(娘)ちゃんうちにいるよ」と声をかけてくれました。

娘がエレベーターのボタンを押そうとしているときにそのお母さんが通りかかって、話をしてくれているときに地震がおきたそうです。

息子がパソコンをいたずらするので続きは後日。。。
このたびの震災で被害にあわれた方、そのご家族の方にお見舞い申し上げますとともにお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

私は東北出身なので、日本海中部地震を子どものときに経験しました。
幸い怪我もありませんでしたが幼稚園で被災したときの記憶がいまでもはっきりと残っています。
同じ県内で津波で亡くなった方がいるというニュースも、子どもながらに大変ショックを受けました。

上の子に鍵を持たせ、留守番させることに慣れてきた最近でした。
仕事が終わってから買い物をし、上の子の帰る時間に合わせて自転車で自宅へ向かっていました。
通り道のパチンコ屋さんからたくさん人が出てきました。
「今日は新台とか?」なんてのんきなことを思っていましたが皆同時にあわてて出ている様子を見て
火事か何かがあったのだと思いました。

重いママチャリを全力でこいでいて気づかなかった私は、電線が揺れるのを見て「大きいゆれだな」と
感じました。
パチンコ屋さんのお客さんにお年を召した方が多かったので大丈夫かな・・と自転車を降りるとまだまだ揺れています。
向かいのラーメン屋さんの「お客様、お怪我をした方はいらっしゃきませんか!?」という呼びかけで我に返り「娘は・・・」とパニックになりました。
自転車を全力でこいで帰りますが、途中は信号が止まっていて自動車も歩行者もパニックです。
おばあちゃんが横断歩道を渡りたくても渡れず困っていたので渡らせました。
本当は早く帰りたかったけど、これで事故があったりとかも怖かったので・・急ぐ気持ちを必死に抑えました。
いつもは「寄り道するなよ~」なんて言ってるけど「今日は、ゆっくり帰ってきている日でありますよに」と願って帰り道を急ぎました。