最後の記事から、約1年も空いてしまいました。
このブログを書き始めたのは、同じ悩みを抱える誰かと繋がりたかったから。
そして、何よりも自分の気持ちを整理したかったからだったと、今振り返ると思います。
ブログを書かなくなったのは、息子の障害についてアレコレ考える時間がとても減ったためです。
悩んでいないのはうそになるけど、1、2年前に比べると本当に心が落ち着いています。
当時は、人に話すだけで勝手に涙があふれてきていたのに、今はカラッと喋れるようにまでなりました。
もうじき4歳になるキュン太はいまだ発語はありません。
夜間もよく起きる。
いわゆる「DQ」の値は、ネットだとキュン太以上に低い値はほぼ見ない。
でも、わたしと離れ、園で過ごせる時間が増えたこと。
とてもよく笑い、人と遊ぶのが好きになってきたこと。
癇癪をめったに起こさなくなったこと。
喋れないけど、理解しているなと感じれることなど、
とてもとても成長しています。
でも、キュン太が成長したから、私も落ち着いたのかというと、それはちょっと違います。
当時の私のイライラ・不安の気持ちをつくりあげていたのは、キュン太ではなく「第三者」の存在でした。
実家の姉、両親からの(心配から来る)耳をふさぎたくなる言葉たち。
ネットに溢れる、不安を煽る言葉。
私が思う「世間の目」、「常識」。
そんなマイナス要素をたくさんたくさん集めた結果、どうしようもなく不安で不安で。
そして、腹立たしくて仕方なくて。
気を抜くといつも涙がでてしまう状態でした。
バカバカしいかもしれないけど、死を連想することも多かった。
「私が悪いんだ、私のせいだ」
「うちの家族の将来はどうなるんだ」
と、悲観しかありませんでした。
そんななか、すばらしい療育先の先生たちとの出会いによって、少しずつ本当にやるべきこと、向き合うべきことが何なのかが分かり始めました。
はじめは、そんな先生たちにさえ「どうせ私のこと、ロクでもない母親だと思ってるんだろう」と、敵視してしまっていましたが、キュン太のことを私よりも理解してくださっている姿がうれしくて、私も片意地張らず、本音で相談できるようになったころ、やっとスタートラインに立った気がしました。
本当にゆっくりとゆっくりと、キュン太自身と向き合い、いま自分が何をすべきかが見えてきました。
たとえば
「小学生のキュン太が不安、想像ができない」
→地域の支援学校や、支援級に見学に行きました。
「キュン太の将来が見えない、わからない」
→まず今のキュン太を知るために、色んな検査をしてもらい、手帳の申請をしました。
いまのキュン太の「現在位置」をいろんな角度から教えてもらいました。
思っていた以上に障害のレベルとしては重かったので、その都度いちいちショックを受けてしまったけど、でもキュン太が何に苦しむ可能性があるのかを知ることができた。
「今のキュン太にもっとできることがあるのでは」
→色んな療育に見学に行き、キュン太に体験してもらいました。
たくさん通所しました。
その結果、ただたくさん通わせればいいのではなく、キュン太にあった(母の視点だけだけど)ところにじっくり通うほうがいいなと思えました。
こんな風に一歩ずつ、悩みながらも進めるようになりました。
そんな私の変化を見ていた、姉や両親が少しずつ寄り添ってもらえるようになったのも、とても大きかった。
(肉親に負の感情を持ち続けるのは、ほんとうに苦しいことでした)
「あなたの育児が原因」と言っていた姉も、たくさん本を読んでくれたりと、私が求めるサポートの形を探ってくれるようになりました。
こんな風になれるなんて、2年前は想像さえできませんでした。
いま、キュン太には家族以外の理解者ができました。
自分だけで背負っていた荷物をすこしおろせた気がします。
少し前までは
「キュン太が可哀想」
だったのが
「キュン太は幸せ者だな」
なんて、思えるようになりました。
だから、キュン太について思い悩む時間がとても減りました。
とはいえ、これからもきっと悩んだり、悲しくなったりすることもたくさんあるかもしれないから
だた、いまの話だけになるけど。
でも、これからもきっと私が苦しくなる時があれば、それはキュン太によって与えられたものではなく、「第三者」によるものなんだと思う。
そのことに気づけて本当に良かった、と思うんです。