こんにちは、Midoriです。
私達人間は、執着、つまりエゴの働きによって
苦しみを感じます。
「執着を手放す」という言葉を聞いた事が無い方はいないと思いますが、
執着を手放す、という事について書いてみます。
「私は執着を手放しました。」
と宣言する多くの場合は「つもり」です。
そこにまだ未練があったり、悲しみなどの感情が隠れています。
本当に手放された場合、
そういう宣言はしないものです。
私の体験上の話ではありますが、
執着していた物事について聞かれてはじめて、
「そう言えば、忘れてた」
とか
「もう全く興味が持てないので思い出しもしない」
「思い出したけど、もう終わっちゃったなあ」
という様な反応です。
手放したつもりは無いけど、終わってたという感じです。
つまり、「執着を手放す」というのは、
その物事そのものをすっかり忘れてしまう、
若しくは、思い出す事も無いというものです。
ですからわざわざ
「手放しました」
とは言いません。
「手放し」という言葉が蔓延している様ですが、
それ自体は、非常に自然に起きる事であり、
「今ただ在る事」により自然体に戻っていくプロセスで何度も何度も
繰り返し起きてくるものなのです。
そうやって制限から解放され、真の自由を生き始めるという訳です。