こんにちは、Midoriです。
ラベルを貼ったら固定化されます。
コップと言ったら飲み物を入れるものとして機能させます。ペンなら書く時使うとか。
そういった物に対する名前くらいなら別にどうという事もありませんが、
「私は無能だ、私は底辺の人間だ、
私は一人では生きていけない、
私はいない方がいい人間だ」
とした場合、
そのセルフイメージから抜ける事は物凄いエネルギーが必要になってきます。
仕事の能率が上がらなかったり、
スムーズな人間関係が築けないとか、
常に鬱々とした気分でいる事になったりします。
又は他人に対しても
「あの人は最低だ」としていたら、
その人が上司の場合、職場は地獄の様なものでしょうし、パートナーであれば常にストレスを溜める事になります。
「あの人は凄すぎる」としていたら、
対等に付き合う事もできませんし、
期待と落胆を経験する事になるかもしれません。
子供に対しても、
「だらしない子、聞き分けの良い子、心配な子」
というラベルを貼る事が子供にとってどういう影響を被るかは推して知るべしです。
病気もそうですが、これは非常にデリケートな事なので話題にするのは難しいですが、
病名を付けるという事が、良くも悪くも作用してしまう事があると思っています。
病気の私、というラベルを一度貼ると、それとして生きていく事になり、固定化されていきます。
逆に固定化されないと、自分として生きる事そのものになりますから、その現象は様々な面から見ても変化していきやすいものになっていく可能性があります。
私達の人生はいつもこうしたジャッジによる
ラベリングがなされているのはご存知とは思いますが、
そこから、ではどうやってこのストレスという苦しみから脱する事ができるのか。
「ラベルを貼るのをやめよう」
これはあまり効果がありません。物凄い頑張れば何とかなると思いますが、そういう方面からコントロールしようとする生き方は、
一生、何に対しても「物凄い頑張ってコントロールする生き方」を自分に強いる生き方です。
そうやって今まで私達は生きてきました。
でもそれはもうおしまいです。
一方で、
常に言葉によらない世界、「今」にただ在るという生き方です。
それは言葉以前の世界です。
そこからは、エゴがどうやってラベルを貼っていくのかがよく見えてきます。
常に常にそういう今を生きていく事で、自分の思考感情行動など現象が自然に変化していくのを見ると思います。