こんにちは、Midoriです。
私達人間の世界で言う愛と、
いのちという永遠性の愛とは
指しているものが違いますよね。
「ずっと友達でいようね」
「永遠の愛を誓います」
「あなたからの愛が感じられない」
「子供がこうなったのも親の愛が足りないからだ」
言葉で色々な使われ方があり、美しいドラマが生まれたり、反転すると愛憎劇になったりと、何れにしても人間世界では、ドラマの中で色々な愛の形があるとして現れてきます。
人間世界での愛は、本質的な満ちた愛の代わりになるものを求めている動きではないでしょうか。
人間世界での愛がネガティブな働きとなった時、
見返り、依存、自己犠牲、執着となり、非常に重いものになります。
本質的な愛というのはそういった条件は無く、自由です。
対が無いのでそのままなのですね。
人間世界で言う愛とは根本的に違うのですが、
それも全て本質的な愛の中で起きています。
言ってみれば、そのままが全て愛です。
ですから、人間界で条件付きの愛のドラマもそのまま愛でしかない。
赦されているから現れているとも言えます。
という様に、今(いのち・愛)を生きる様になると
表面上の事は大抵は普通に
「そうなんだね、うんうん」
という感じになります。
勿論エゴ的に喜怒哀楽の思考感情を出してみたりもできますが、
人間界のドラマ的な愛を本気で求める事、
つまり見返り、依存、執着、自己犠牲は、
最早無くなってくるのでは無いでしょうか。
そう言えば、ちょっと関係ないかもですが、
例えば、見ていたTVドラマが最終回を迎えたり、推しが結婚したりで〜ロスになるとか世間ではよく言いますが、
そういう事も全くありません笑
諦めが良いとかでは全くなくて、
ただ普通に〜ロスにならないのです。
すぐ0になります。
常に新しいものに出会っていきます。
時間軸が無いので常に今を生きられるのです。
愛である本来の自分と一致した穏やかな平安、その中で全てが起きています。