こんにちは、Midoriです。








個人の私は幻である、

という事を思考で解釈する事によって、

不自然で不思議な言動が起こってしまう様です。

それもプロセスというか学びというか

ただ起きた事ではありますが。








「私がいないなら〇〇してもいい、した方がいい」

「私がいないから〇〇はどうでもいい」

とか、行動そのものに

「私が(他人も)いないから」という

理由付け、条件付けが起きていると。

そういった事があったら要注意です。

結局思考活動になっているという事です。

例えば

「私や他人がいないなら傷付けちゃっても大丈夫」

「私がいないなら体に悪いもの食べてもいいや」

実際に見聞きしたものです。









私がいない、という事は

それを明らかに肌で感じる事が先で、

気が付いたらそうだった、

という事でしか無いはずです。








個人の私だと思って生きてきた人生とは

変わらないとは言え、

自然と全く変わってしまう部分というものがあるのです。








何も変わらない今までの人生の中で、

思考の解釈での「私はいない」という情報を得て生きる事と、

事実として「私はいない」を生きる事は

全く違うものだと言えます。








思考活動はこの世界を生きていく上では欠かせない非常に大切なものです。

そしてこの体も同じく非常に大切なものです。

ルールやマナーも人間関係には欠かせないものです。

私達が生きる上で軽んじていいものである訳ではありません。

そうではなくて大切にしながらも、

深刻になるものでは無いよ、

という事なのです。

これがなかなか理解できないところ。

だから「私はいない」というものは、

頭で解釈してあれこれこねくり回す様なものでは無いという事です。