きゅうの高熱(’83,2③) | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。

 

 

 

2月10日

今日もお義母さんが行ってくれる

昨日はまあまあ元気だったのが

今日は食欲もないし熱があるそうだ

やっぱり私が行かないのがショックなのだろうか

私が来る私が来るかと思って廊下の方ばかり見ているそうだ。

 

 

 

2月11日

今日は私も熱も下がり なんでも病院へ行こうと頑張って行く。

何と熱が39.3℃まで上がり 唇も真っ黒になり

酸素テントの中でグッタリしている。

何という事だ 私の方もショックである。

それからどんどん水分を与える

本人もすごい水分を欲しがりグングンのんでいる

夕方には36.5℃に下がった。

ホッとする。

ご飯もよく食べた。

 

 

 

 

2月12日

主人(父)が午後から早引きして帰ってくる

きゅうは又 微熱がある

でもいくからは平気である

全く元気になったと思えば又落ち込み

元気になったと思えば又落ち込む

どうした事か

 

 

 

2月15日

今日は心カテーテル検査の予定であった。

微熱が続いているので延期に

主人(父)は会社を休んで住民票を移す。