※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。
4月23日
目ヤニが出ている。
結膜炎にかかったのカナ。
看護婦さんにその事を伝える。
熱が出る。
いよいよ本格的に風邪を引くみたいだ。
4月24日
市民会館へN(きゅうの姉)を送って病院へ行く。
(市民会館にいた他の)親が必死になって子供にしてやっているのを見ると私がきゅうに手がかかって
Nにしてやれないのが心に残るし、Nが可哀想である。
二つの事が重なってその負担がNいって少し可哀想である。
母の妹は当時を振り返り、しきりにNが可哀想だったという。
病児が生まれると、状況的に親が病児にかかりっきりになってしまう。
それは仕方ないことだけど、気持ちまで病児だけにかかりっきりになる親御さんをみかける。
病児として、きょうだい児も大切にして欲しい。
母も父も、ずっと姉の事と、まだ日記には出てきてないこの先に生まれる弟を気にかけていた。
親が気にかけていても、親戚や教師など周りの大人がきょうだい児に心無い言葉を吐く人もいる。
病児の存在をきょうだい児の評価の道具にしないで頂きたい。
病児はたまたま病気をもっただけの1人の子どもであると同時に、
きょうだい児もたまたまきょうだいが病気になっただけの1人の子どもなんだから。